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目次
今回の要点と要約文
今回の要点
- 好きなこと=感情的な快楽に偏る生き方は「魂の進化」を妨げ、波動(オーラ)を低劣にさせてしまう。
- イヤなことや理不尽な出来事も自分の波動の「同調現象」と捉え、学びとして受け入れていくこと。
- 肉体を持つことによる「喜怒哀楽」選り好みせずに味わっていくことが、『あるがままに生きる』ということ。
『波動の法則』入門の9回目です。
今回も『波動の法則』副読本である足立幸子さんの『あるがままに生きる』から。
今回の要旨をひとことで言うと、
【好きなことだけで生きると魂の進化はない】
現代は「好きなことだけで生きていく」と語られることが多いですが、これは感情の話です。
感情的な快のみを求め、不快を厭う生き方は魂を進化させない。
ハッキリ言うと、動物的になっていくんですよ。
「好きなことだけで生きている」有名ユーチューバーなどは、広告や案件で大きく稼げているかもしれませんが、私が観ると「オーラが汚れている」人をチラホラ見かけます。
幸子さんの言う真我=神我=本当の自分は、「精神的な成長」を望んでいます。
それは残念ながら?イヤなことを乗り越えることによってでしか得られないので、イヤなことがやってきたら「お試し」だと思って正面からぶつかっていくしかありません。
こんなのは当たり前だと私は思うんですが、どうも安っぽいスピリチュアルや自己啓発にかぶれてしまうと、この程度の認識もできなくなるようです。
あと、波動の法則では「引き寄せ」ではなく【同調】という表現を使います。
人々は「引き寄せ」という言葉をエゴイスティックに使った結果、波動(エネルギー)がかなり重たい言葉に成り下がりました。
それよりは【同調】の方がフラットで断然良い。
良いことも悪いことも、自分の波動に【同調】して起こる。
それは「魂の進化」のためで、特に悪いこと、イヤなことは絶対に避けては通れない。
もちろん、イヤなことの中には「理不尽の極み」みたいなものもあるでしょうが、それでも「意味がある」と肚を据えるのが人生の厳しい学びだと思います。
幸子さんは『ベルリン・天使の詩』(1987)という映画を紹介されています。
役所広司主演『PERFECT DAYS』(2023)と同じヴィム・ヴェンダース監督でした。
全くテイストの異なる映画ですが、どっちも素晴らしい。
天使は人間の肉体がないから、喜怒哀楽や五感がリアルにわからない。
あるとき、ある女性に心から惚れてしまった天使は、翼を捨てて人間に転生する。
その直後に少しケガをしてしまいますが、「そうか、これが〈痛い〉ということか!」と感動する。
ボディ=肉体を持って様々な体験をすることが、なぜか地上に生を与えられてしまった、一つの意味なのでしょう。
喜びや楽しみだけでなく、悲しみや怒りも体験しなければ、十分な体験とは言えない。
好きなことだけでなく、イヤなことも味わわなければ、「全体性」はない。
本のタイトル『あるがままに生きる』というのは、楽しいことはもちろん、イヤなことも平等に味わっていくということ。
人間関係において苦手に感じる相手の「あるがまま」も受け入れていくのは、しんどい場合もある。
ここでアタマで考えると「善悪のジャッジ」が生まれ、「自分は正しい」「相手は間違っている」という分離が始まってしまう。
そこで必要なのは、「ただ、見る」という態度。
その「とても冷静に観察している存在」こそ、幸子さんは「真我=神我=本当の自分」と言います。
この感覚を掴むには、瞑想やマインドフルネスが有効です。
そうやって楽しいこともイヤなことも平等に体験することで、どんどん波動は上がっていくと幸子さんは平易な言葉で語ります。
要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。
以下からは文字起こし全文です(さらに読みやすく加筆修正済)
【注意】”好きなことだけで生きる”と、魂の進化はない!
今回も『波動の法則』入門、9回目です。
前回に続き、足立幸子さんの『あるがままに生きる』をご紹介します。
結論から言うと、
「好きなことだけで生きると、魂の進化はない」
という、現代の風潮に水を差すような内容ですけれども、私はこれが真実だと確信しています。
数年前のマジスピラジオでは「やりたいことも大事、やるべきことも大事」って少しマイルドに言ってましたが、回を重ねるごとに表現が強くなってきました。
今回の内容は、すべてこの『あるがままに生きる』に基づいていますので、もしご興味ありましたらぜひご購入いただき、波動を高めるそのヒントにしてください。
あくまで「ヒント」であって、答えではありません。
文章自体は簡単なので、自分で掴み取るつもりで読まないと流れていってしまいますよ。
では本題に入りましょう。
まず気づく必要があるのは、「好きなことをやること」と「【本当の自分】が望んでいることをやること」というのは、似て非なるものだということです。
「好きなこと」とは、好き嫌いという感情レベルの話です。
【本当の自分】とは、前回述べた通り、【真我】【神我】という最も深い意識レベルです。
つまり、感情レベルではイヤであっても、【本当の自分】が望んでいることを実践することが、「魂の進化」につながっているということです。
この逆、感情レベルで好きなことばかりやっていては、「魂の進化」はありません。
ちょっと考えたら誰でもわかりますが、辛いこと、大変なことを乗り越えなければ、魂の進化・精神的な成長はありませんよね。
「好きなことだけで生きていく」がモットーのユーチューバーの中には、たとえ人気であっても波動(オーラ)としては動物的なのがチラホラいます。
人気ゆえに広告収入や企業案件で普通の人よりずっと稼げるでしょう。
しかし「魂の視点」から考えると、好きなことだけやっていると波動はだんだん低劣になっていきます。
ですから、嫌なこと、苦しいこと、辛いこと、重たいこと、それも含めて「好きになる」ということ。
少なくとも、たとえ感情的にはイヤであっても、そこから逃げないということ。
聞けば当たり前のことのように思うかもしれませんが、現代はこういうことを再確認しないと軽薄になっていく怖れがあります。
まぁスピリチュアルなんてのはこの種の軽薄さが割と見られる世界なので、注意しないといけません。
『波動の法則』や『あるがままに生きる』には、もちろん「好きなことだけで生きていきなさい」なんて書いてませんからね(笑)
幸子さんの場合、「これをやったらたぶんダメになるな、死ぬかもしれないな・・・でも【直観】ではやりたいと思っていること」が、一番ワクワクするとおっしゃっています。
これが【本当の自分】=【真我】=【神我】がやりたいことですね。
私も起業するときは「食っていけないだろうな」と恐怖を感じつつ、【直観】でワクワク突き進みました。
ですから、同じ「好きなこと」「やりたいこと」であっても、どの次元(時空元)からの意識なのかが大切です。
幸子さんは、「『本当に自分が望んでいることをやるんだ!』と、強烈にプログラムしましょう」と言います。
この「強烈に」というのは、「命がけ」「本気」「真剣」ということです。
幸子さんは明るくサラッとおっしゃるので、こちらが真意を汲み取らないといけないんですけど、本当は「勇気」が必要なんですよ。
だから、もう何度も言っていますけど、「何のために生き、なぜ死ぬのか?」「どう生きれば、悔いのない人生を送れるのか?」ということを問い続けないといけません。
じゃないと、「命がけ」「本気」「真剣」って言われても、「そうですよね~」「本当はそれが大事だとは思ってるんですけど(なかなかできないです)」と、核心に触れられずに流されていきます。
このやさしい文章の行間に埋め込まれた「激しさ」を感じながら、油断せず読んでいってください。
低次元の「引き寄せ」から【同調】へアップデートしよう
『波動の法則』では、「引き寄せ」という言葉は使っていないと思われます。
足立育朗所長は、言葉は意図的に選んでいます。
例えば波動の法則では「ついきゅう」には【追窮】という漢字を当てます。
意味が近いとはいえ、「追求」「追及」「追究」という漢字は使いません。
私も波動を観る人間なのでわかりますが、この中で最も波動が高いのは【追窮】なんです。
これに倣い、私も「ついきゅう」は【追窮】の漢字を使っています。
過去にも言ったことがありますが、「引き寄せ」という言葉は波動がかなり重たいんですよ。
大半の人がエゴイスティックに「引き寄せ」を使っているし、普通のスピリチュアルでもウケ狙いで「引き寄せ」を多用するものだから、波動はどんどん重たくなってしまいました。
それに比べたら【同調】はプレーンでフラットなので、エゴの振動波が入る余地はありません。
ですから私も足立所長に倣い、「引き寄せ」でなく【同調】の言葉を使っています。
【同調】はわかりやすく言えば「類は友を呼ぶ」ということですね。
自分が普段から発振("発信" ではない)している波動に【同調】して、あらゆる現象は起こっています。
自分にとって良いこともイヤなことも、全部【同調】の結果なんだと。
すべては必要があって【同調】しているからこそ、感情レベルでは「イヤなこと」であったとしても、正面から忍耐して取り組んでいかなければ「魂の進化」はない、ということです。
「すべてに意味がある」なんてスピリチュアルや自己啓発や心理学などではよく言われることですけど、これが本当に実践できるかどうかですね。
これも理解ではなく【気づき】ということが大切です。
例えば私の場合、SNS(インスタやXなど)は本当はやりたくないんですけど、直観的には「やるべき」だと思いました。
実際にアンチコメントが少し来るようになったのは、感情的には不快です。
またフォロワーがなかなか増えていかないのも感情的にはイヤですが、たとえすぐに理解されなくても発信し続けるのは【本当の自分】にとっては「やりたいこと」なんです。
これはまあ、わかりやすい例ですね。
ただ、場合によっては「すべてに意味がある」なんて、すんなり納得のいかないこともあると思います。
特に肉親の不慮の事故や葛藤などは、そう簡単に受け入れられないでしょう。
そういう理不尽な出来事だと思れることも、すべては【同調現象】であり「意味がある」と受け入れるのは、やはり人間としての修練が必要です。
ときに深刻な実体験を通じて学ぶタイミングもあるというのは、『波動の法則』や『あるがままに生きる』ではハッキリ書かれていませんが、見落としてはいけないポイントですね。
【人生の意味】なぜ肉体を持って地球に転生したのか?
足立幸子さんは『ベルリン・天使の詩(うた)』という映画を紹介しています。
1987年の映画です。私も観ました。
なんと監督が、役所広司主演の『PERFECT DAYS』(2023)と同じヴィム・ヴェンダースなんですよ。
『PERFECT DAYS』は劇場で2回観たぐらい好きなので、これはうれしかった。
『ベルリン・天使の詩』は『PERFECT DAYS』と同じく静かな映画でしたけど、味わい深かったですね。
この映画を通じて幸子さんは、「人間は肉体というボディを借りて、さまざまな体験をするために地球に生まれてきた」と言います。
この映画はタイトル通り天使が出てきます。
天使は人類が誕生する前から地球の守護者になっているようで、耳を済ますと人間の心の声が聞こえるようです。
「生活の苦しさ」「仕事の不安」「夢やロマン」などの心の声を静かに聞いていて、特に落ち込んだり絶望したりしている人に対し、天使はそっと肩や背中に手を触れ「無言の励まし」を送る。
そうすると、これまでネガティブ思考に囚われていた人が、ちょっとだけ希望を取り戻すシーンがあります。
(逆に、救い切れずに自殺してしまう青年がいたとき、普段は冷静な天使が嘆くシーンもあります)
本題とは関係ないんですが、私はよく「守護霊」「指導霊」「守護神」の存在を語りますし、波動としても観えますので、「もし視覚的に見えたらこんな感じだろうな」と、ちょっとうれしくなりました。
実は『波動の法則』では、守護霊的な存在のことを宇宙語で【SEPOUW / セポー】と言うそうです。
私たちからすれば不思議な響きですが、少なくとも【SEPOUW / セポー】という言葉の波動はいいですね。
よければSEPOUWさんの存在を信じるといいですよ。
ところが、この天使は五感がないんですよ。
論理的には五感が何なのかは理解できるんですが、実際の体験がないわけです。
映画表現として上手だなと感じたのは、「天使の目線」のときは映画は「白黒」になっていることです。
本作の主人公のある天使は、ある女性の仕事ぶりと心の声を見聞きしているうちに、恋をしてしまう。
それで天使の羽を捨て、人間として転生するんですね。
すると、白黒だった映画が「カラー」に変わり始める演出が素敵です。
人間に転生した天使は、ケガをしたときの痛み、血の赤さ、青色の壁、ホットコーヒーのあたたかさ・・・すべてが新鮮なんですね。
元天使を演じる俳優さんは年齢的にはオッサンなんですが、子どもみたいに無邪気なんです。
幸子さんはこの映画を通じて、ボディを借りて地球に生まれたのは、喜怒哀楽の感情を体験して学ぶためだと言います。
人生の全体を味わい尽くそうと思うなら、喜びや楽しみだけでなく、同時に哀しみや楽しみの体験しなければなりません。
これはよく言われることですけども、だから体験というのは喜びや楽しみの感情だけではないということです。
恋をする喜びがあればこそ、恋が上手しない哀しみがあります。
たとえ恋が成就しても、だからこそ別離や死別の悲哀は深い。
ですから、喜怒哀楽のすべてを体験しなければ、イヤなことも十分に味わわなければ、魂は進化しないんです。
これ、わかりますよね?
別に難しいことを言っているつもりはありません。
けれども、今の「好きなことだけで生きていく」という風潮の中にどっぷり浸かっていると、よくわからなくなると思います。
安っぽいビジネス書や自己啓発書、またネットワークビジネスなんかだと、「好きなことだけで生きて、嫌な人間とは一切の関係を断ち、好きな時に好きな人と過ごせる人生、最高じゃないですか?」というビジネストークがいまだにあります。
で、そういう人たちは表では「理想的なライフスタイル」を演じます(本当は影でいろいろ抱えているくせに)。
そうやって演じるのは、現代が「ラクして楽しく、お気楽に生きる」という風潮だからです。
これはスピリチュアル業界も似ていますけど、そういう世界はある意味では「地獄」なんです。
好きなことだけしかしない世界の先にあるのは、「堕落」だからです。
快楽だけを望むのは「動物」です。
そういうのがもてはやされる世の中だということは、それだけ地球人類は動物化したということですね。
ここで思い出したのは、『波動の法則』とは関係ないけど『日月神示』です。
有名な一節。
「神と獣に別れるぞ。どちらにつくかは己次第ぞ。」
政財界の世界なんか、「獣」が多いですよね。
獣が背広着て歩いておるのざぞ(日月神示風)。
これもまた「二極化」ということなんでしょうね。
【注意】『あるがまま』を「ワガママ」と勘違いしないこと
感情的にはイヤなことであっても、それで精神的に成長できるとしたら、それは【本当の自分】としては好きなこと。
感情的な好き嫌いを超えて、自分の波動に【同調】して起こったすべての物事を受け入れていく。
これが『あるがままに生きる』というタイトルの意味です。
決して「ワガママ」ではないんですよ。
ここまで考えれば、並の地球人にとって「あるがまま」はかなりレベルが高いことだとわかるはずです。
この「あるがまま」とは、自分だけでなく他人の「あるがまま」も尊重すること。
特に人間関係でイヤな人に会うのは、さっき述べた波動の【同調】として起こっていることなので、そのイヤな人のイヤな部分も受け入れていく意識が大切です。
場合によっては、なかなか難しいですけどね。
【同調】というのは、自分の中の「嫌な部分」を相手の中に見ているケースもあります。
私も比較的最近、とても見損なってしまった人がいたのですが、私がその人の中に見ている「見損なった部分」というのは、実は自分も潜在的に抱えていることでした。
例えばそういうことに気づき、「なるほど、だから自分はその人がイヤなんだな」と理解できれば、イヤな感じというのはだいぶ無くなっていきます。
このようにして、イヤなことからも学ぶということが「魂の進化」ということです。
ここでの注意点は、「頭で考えない」こと。
これはこの『波動の法則』入門で説明してきた通り、「顕在意識を働かせない」ということ。
前回述べた「ボーっとする」ということですね。
これはわかりやす過ぎて逆にわからない言葉なんで、復習しておきます。
頭で考えると、これはスピリチュアルでよく言われる「ジャッジ(判断)」に向かいます。
硬い表現で言えば「善悪の分離」です。
「自分は正しくて」「相手は間違っている」という分離です。
「自分は善人で」「相手は悪人だ」と、頭で考えればそうなります。
頭も「肉体」の一部であるため、自我=エゴに傾いてしまうんですよ。
だから「ボーっとする」、判断を一時停止することを幸子さんは言っているわけです。
これは「善悪の価値観を横に置いて、ただ観ること(観察すること)」なんです。
・・・ここで「頭で考えるなって言うけど、そんなのどうやってやるんだよ?考えなかったら何もできないのでは?」と疑問に感じた人もいるだろうと思います。
そんな人でも、例えば
「さわやかな風に吹かれて心地よく感じているとき」
「美しい花を、ただ "いいなぁ" と感じているとき」
「夜空に輝く星々を見上げているとき」
こういうとき、アタマは働いていないはずです。
けれど、別に「思考停止になった」とか「考えていないから何もできない」とか、そういうことではありませんよね?
すでに実体験はあるはず。
なので、ここを深堀りしたいなら、瞑想やマインドフルネスの訓練をしていただくといいでしょう。
ネットで調べれば、いくらでも情報が出てきます。
もう少し実践的なことを言うと、人間は「色眼鏡」でモノを見ていることに「いつも気づいている」ことです。
日常で触れる何かに対して、私たちは「これはいいな」「あれは悪いな」「あいつはムカつく」「あの人は好きだ」と、いろんな色をつける=ジャッジするわけですよね。
これを無自覚だと無意識にやってしまっているわけですが、これに自覚的になること。
「善悪の価値観を横に置いて、ただ観る」というのは、例えば
「いま、自分はこの人のこと "イヤ" だと思ったな」
「いま、この人のこと "感じのいい人だ" と思ったな」
「いまこの言葉を聞いて "すごい不快" に思ったな」
「いま自分の中で、なんだか "胃のあたりがとてもモヤモヤする" な」
このように、その都度において沸き起こってくる感情や感覚を自覚的に観察することが「ただ観る」ということです。
足立幸子さんぐらいのすごい波動の高い方になると「ボーっとする」の一言でOKなんですが、凡人の私たちはもう少し細やかなトレーニングが必要でしょうね。
「ボーっとする」=「顕在意識を働かせない」練習として、ただ観るということです。
ところで、この「ただ観る」というのは、いったい "何が" 観ているのでしょうか?
それを幸子さんは「非常に冷静で、静かに見ているもう一人の自分」と表現し、【真我】【神我】【本当の自分】と同じ存在だと言っています。
他の心理学や哲学によっては「観察者」という表現もありますが、いずれにしても心の深い部分のことです。
たとえ心の表面は感情のさざ波が立ち騒いでいたとしても、心の深い部分では感情に全く動じない「不動の自分」があると。
ここを中心にして物事を観ていくと、足立幸子的には「ボーっとする」という小学生でもわかる表現になるわけです(笑)
もっと言えば、足立幸子という人は「普通の生活の中で瞑想していた人」なんだろうと思います。
これはお兄さんである足立育朗所長もそうです。
日常の中で「エゴの振動波」をなるべく使わないようにしているから、幸子さんの言う《おおもと》とアクセスしやすい状態をキープしていた、ということなんでしょう。
幸子さんがアートを描いている映像を観ると、考えないでバーっと一瞬で絵を描いてしまう。
それでいて波動がすごく良いから、「なんじゃこりゃ?」です(笑)
同じ人間でも、上には上がいるもんですね。
というわけで、今回はいろいろ説明はしましたが、中心のテーマは「好きなことだけで生きると魂の進化はない」ということでした。
イヤなことであっても、それが自分の波動と【同調】したことによって起こった現象であれば、正面からぶつかって学んでいくのが『波動の法則』の実践ですよ、というお話でした。
改めて、今回の要点
- 好きなこと=感情的な快楽に偏る生き方は「魂の進化」を妨げ、波動(オーラ)を低劣にさせてしまう。
- イヤなことや理不尽な出来事も自分の波動の「同調現象」と捉え、学びとして受け入れていくこと。
- 肉体を持つことによる「喜怒哀楽」選り好みせずに味わっていくことが、『あるがままに生きる』ということ。
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
