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“悟り・覚醒ビジネス”の間違い。目覚めは目標ではなくプロセス

よく目覚めとか覚醒とか言うけど、それはあくまでプロセスに過ぎない。

それはゴールではない。

これが分からないと、真のスピリチュアルというのは分からないと思いますね。

良い人生とは状態ではなく、プロセスであり、目的地ではなく、方向である。

大事なのはプロセスである。

これがまさにスピリチュアルということです。

西洋的な考えでは自己実現、目標、成功、などの達成を目的にします。

これをスピリチュアルな文脈に持ち込み、引き寄せ、覚醒、目覚めですら「達成する」という現代のスタンダードな考え方に落とし込んでしまう。

しかし、真のスピリチュアルはそうではありません。

覚醒はあくまでプロセス、しかも永遠のプロセスに過ぎない。

それはゴールではない。

もう一回言います。

良い人生とは状態ではなく、プロセスであり、目的地ではなく、方向なんです。

魂の弱い人は感謝できない。エゴは不満しか見ない。

感謝は魂が、心が強くなければできません。

見えに見えないものを見ようとする、その強い意志がなければできないんです。

この物質世界における利害・得失・打算ですね。

それしか見ない人は感謝なんてできないんですよ。

「目に見えるもの」だけ見ていれば、感謝はできないんです。

エゴで判断するから、不平不満が溜まっていくだけです。

"お子様向けスピリチュアル" が言う「ありがとうと言い続ければ、良いことが起きる」説を鵜呑みにして、期待する人。

それはエゴイズムですね。

だから「ありがとうありがとう」って言ってる割に波動(オーラ)がね、あまりよろしくないんですよね。

だから「言霊」って言ってる割に言葉に「魂」に宿っておらず、カスカスなんですよ。

それでも言い続ければいいという説もありますが、言葉と心が一致してこそ言霊ですよ。

スカスカな言葉を吐くぐらいなら、むしろ黙っている方がまだずっといいということです。

「沈黙は金」っていう通りです。

本物のスピリチュアリストは不用意な予言を絶対しない

本当に心ある真のスピリチュアリスト、そういった人は人々をいたずらに惑わすようなことは絶対に言わないんです。

不用意に発言しないんです。

だから、そういうことを言っている時点でもうダメだということです。

もしその予言が仮に起こるとしても、それを予知したとしても、言いません。

インターネットの時代ですから、簡単に発言が切り取られて拡散されていく、そんな時代ですよ。

不用意に発言するわけがないじゃないですか。

その上で、密かに浄化するんです。

まだ物事がこの世で起こる前に、実は「あの世」で起こっているんです。

それがこの現世、神道で言うところの「現し世(うつしよ・うつしょ)」として映し出されてくるわけですね。

いわば映画のフィルムとスクリーンのようなものです。

本当に心ある人は、まだフィルムだけの段階で、スクリーン(現し世)に映し出される前に、フィルムそのものを修正する。

密かに浄化する。

誰にも言わない。

密かに浄めていく。

これが本当に心あるスピリチュアリストであり、宗教家のやることなんです。

死生観を持たないと、必ず流されてしまう

「普通のスピリチュアル」(お花畑のスピリチュアル)に触れれば触れるほど、死を忘れていきます。

その結果、魂がだんだん腑抜けになっていく。

私は毎日「死を忘れない」心がけでもって、ご先祖のこととか、また先の戦争で日本のために命を捧げてくださった英霊の皆様のことを、よく思います。

そうでもしないと、やっぱり死を忘れてしまうんですね。未熟な人間ですから。

今これを聞いていただいて、「死を想うこと、やっぱり大事だよな」って多分思うはずですけど、おそらく3日もしないうちに忘れてしまうでしょうね。

それは普通のことです。

「死を想うとは、宇宙エネルギーに触れることだ」と言いましたけども、慣れるまでは苦しいというか、やっぱり怖いと思ってしまうし、嫌だなと思ってしまうし、あるいは「めんどくさい」「まあいいや」と思っちゃう。

そこを超えていく必要がありますね。

だからこれも一つの心がけです。

やっぱり慣れていくしかないですね。

ボケーっと生きていると、ボケーっとしたオーラになるんですよ。

それが嫌であれば、一日のどこかで真剣な気持ちになって、「死を想う」ことですね。

理不尽や不合理は、魂の目を最も開かせる - シルバーバーチ

『悲しみは、魂に悟りを開かせる体験の中でも、特に神聖な意味を持つものです。それが魂の本質に触れた時、一番よく魂の目を覚まさせるものです』

さすがシルバーバーチの言葉です。

「悲しみ」は悟りを開かせる上で、とても重要なものです。

もちろん、滝に打たれたり、断食をしたり、瞑想をしたり、いわゆる「修行」と呼ばれるものでも、悟りへの道ではあるかもしれません。

しかし、私たちの普段のこの人生においては、「理不尽」や「不合理」としか言いようのない苦しみや悲しみというものがあります。

それが後で振り返れば、自分の魂の目を開かせるとても重要な契機になっていたということは、真摯に人生を生きてこられた方であれば、ご経験がおありではないでしょうか。

「魂の力」は本来とても強いことを認識するのが運命を開く根本

組織の中に、たった一人でも本当に波動(生命エネルギー)の優れた人がいると、それだけでだいぶ影響があるんですよ(大企業は除きますが)。

たった一人でも、それだけ影響があります。

世界や歴史を変えるのは、歴史を調べていくと、必ず一人か少数なんです。

たった一人の勇気が、世界を変えるということはよくあります。

そういった意味で、一人の「魂の影響力」というのは、本来はものすごく強いことを認識しなければならないんです。

(その認識を深めるプロセスが「魂の進化」なのだと思います)

【注意】家族の幸せだけ祈るのはエゴイズム⇨波動が弱くなる

波動を強くするには、できる限り大きな理想を持つことです。

波動の弱い人たちは、ある意味では「謙虚」になってしまうんですね。

「いやいや、自分なんて別に大したことないですから」と、変な謙虚さを発揮して、高く大きな理想を持たないということです。

「自分と家族が幸せになればそれでいいんです」と言う。

それはある意味では「エゴイズム」なんです。

小さくまとまっているという意味では、実は「隠れたエゴ」があるんですよ。

単なる「いい人」で終わってはいけない。

声を出すべきときに出さない。

これも弱さの証拠です。

だからこそ、本当にスピリチュアルを学ぶのであれば、現実にも強くならなければもったいないということです。

「いい人」は、「いい人」で終わってはいけない。

ここで満足してはいけないんです。

真実を求めながら、かつ現実と戦っていくという、その理想を持たなければならないんです。

宗教もスピ系も堕落した時代、それでも祈りを忘れないこと

現代の宗教もスピリチュアルも、堕落しているわけですよね。

信仰が失われた時代、まさに「魂の抜けた仏」ですね。

新興宗教は特にそうですけども、いわゆる「現世利益」。

今、生きているこの「肉体だけの幸福」を求める。

そもそもが、それを超えていくのが本来の宗教だったはずです。

この世ではない、あの世の普遍的な価値。

絶対的な真実や真理というもの。

それを求めていくのが本来の宗教だし、本来の祈りの目的だったわけです。

「この肉体さえ幸せであればいいんだよ」と。

これが今の新興宗教のマーケティングですね。

なぜならば、そう言わないと人が集まらないから。

スピリチュアルもそうですよね。

本来は魂とか霊、霊魂を求めるはずが、「引き寄せ」に代表されるような、お金とか恋愛とか物質的な欲望の追求をする。

それに何の疑問も差し挟まない。

「いくらこの世で成功しようが、それをあの世まで持っていくことはできない」ってずっと宗教は説いてきたはずです。

ところが、もう価値が逆転してしまって、宗教もスピリチュアルも堕落しているわけですよね。

自我(エゴ)実現は波動が低い。本気の「自己実現」は波動が高い。

自己実現と自我実現、この2つを明確に分けた方がいいですね。

世の中で言われているのは、大半が「自我実現」です。

つまりエゴですね。

好きなことだけをして生きる、あれはほとんどが「自我実現」ですね。

「引き寄せ」もまた、エゴの領域に入ります。

これは波動が重たいんですよ。

ところが「自己実現」(自己実現傾向)というのは、計算や損得ではなくて、自分の内側からの流れですね。

時には損することもあるわけです。

成功は保証されていない。

けど人間というのは、結果がどうであれば、内側から沸き起こる「いのちの流れ」に従うということが「真の幸せ」ではないかと。

それを掴むということが、実はものすごくスピリチュアルだということです。

何かを達成するとか、何か夢を叶えるとか、それ以前に在る自分の「いのちの流れ」。

自分はこの宇宙からなぜ命を与えられたのか?

そして自分に与えられた運命の中で、自分はこういった方向に行った方がいいんじゃないか?

こう説い続けることが、自己実現傾向、そのプロセスの流れであるわけですね。

神仏は祈るだけで満足する人を信用しない!

神仏は「祈るだけで何もしない」言葉だけの人間を信用すると思いますか?

私は人の波動(オーラ)を観るのが仕事ですけど、神仏はもっとお見通しなわけでしょ。

神社行って「縁結び」を祈願して、テキトーにお賽銭入れて、「良い縁がありますように」と祈ってるだけ、それで満足して何もしねえと。

あなたが神様だったら信用しますか?

よく「意識高い系」というんですかね、お会いすると「ご縁に感謝」って言う方がいます。

言うのは簡単なんですけどね。

それを口先だけで言う人は、あんまり信用しないですね。

本当に「ご縁に感謝」っていうのはどういうことかと。

ここでご縁をいただいたお相手のために、お役に立てることはないか?

それが本当に真剣に考えられるのであれば、「御縁に感謝」って言ってもいいですけどね。

もうね、口先だけで言っている人を何人も見てきたんで、私はスレてしまったんです(笑)

安易に、信用しなくなったんです。

たまたま人のオーラを見る人間なので、普通の人よりはよくわかっているつもりです。

言葉だけでは信用してはいけませんね。

理不尽や不合理を乗り越える唯一の方法

不合理なことに対する最大の対応は、不合理で迎えるということです。

目には目を、歯には歯を。

不合理には不合理を、理不尽には理不尽を。

それでもってしか乗り越えていくこと、受け入れていくことができない。

この理不尽や不合理というのは、言葉通り「理性を尽くしても尽くしきれない」。

「合理では語れない」ということですね。

この理不尽で不合理な体験というのは、自分の意図を超えて、運命の側から与えられる。

自分はそうは望んでいないのに、まさかというのが運命からやってくる。

理不尽や不合理が与えられることによって、普段とは違う頭の使い方をすること、あるいは頭を捨てること。

それをせざるを得ない状況に追い込まれたときに、すでに持っている「知恵」(良知)に至る。

その結果として、例えば「あきらめるしかない」「受け入れるしかない」。

スピリチュアル的に言えば「宇宙にゆだねるしかない」というような心境です。

これが「理性を超えた対応」だということです。

【迷惑】スピ系のセミナー講師を困らせる受講者の特徴

(スピ系の)知識があるからといって、波動まで良いとは限りません。

いや、むしろ知識だけあって、いろんな理屈をこね出した瞬間に波動が重たくなるという場合もよくあります。

私は人のオーラ波動を見る人間なんで、それがよくわかる。

最近あるスピリチュアル系の講師から直接聞いた話があります。

「知識だけでわかった気になっている人が増えていて、非常に困っている」という話でした。

反論する人がいるんですって。

何か言うと「それは違うんじゃないですか」とか、「スピリチュアル系の●●さんはそんなこと言ってませんでした」とかね。

そういう頭でっかちのヤツが反論すると困るんですよ。

その講師の方は「いい人」なんで、寄り添ってしまって引っ込んじゃうんですよね。

だから言葉を選んで、無難な感じのセミナーになっているらしいですよ。

まあそれはそれであんまり面白くないですよね。

YouTubeなどをサクッと見て、なんだか分かった気になるということが現代はよくありますね。

なんか最近聞こえてくるのは、「縄文エネルギー」でしたっけ?

流行ってるらしいですけど、ホンマにわかってんのか?

縄文エネルギーって何ですか?

わかってて話していますか?

そういった流行ってる言葉というのは注意しなければいけないですよ。

“金運爆上がり!” “奇跡連発!” を叫ぶ動画は全く役に立たない

奇跡が起こるとか金運上昇とか、私は前からずっと言っている通り、そんなもの何の役にも立たないんです。

そういう欲望やエゴを刺激するようなものは波動が重たい・低いに決まってるんですよ。

ある方は波動が重たいのに、YouTubeなどで「この動画や音声を視聴するだけで浄化、奇跡が起きます」と謳う。

割とスピリチュアル系のインフルエンサーがやることですよね。

私は前からずっと言っている通り、そんなもの何の役にも立たないんですよ。

ただ、そのコメント欄を見てみると、実際その動画や音声は大した波動ではないんだが、コメント欄は「癒されました!」「浄化されました!」「よく寝れました!」とかの称賛コメントがたくさんあるわけですよね。

だから、もし私が実名を出して、「この人はちょっと波動重たいですよ、気をつけてくださいね」なんて実名で言ってしまうと、多分めちゃめちゃ怒ると人が出てきます。

信じる者は人それぞれだから、仕方がないです。

特に宗教とかこのスピリチュアル周りは「信じているもの」を否定されたら怒りを買ってしまいますから、私は表では実名を出さす、個人セッションなどのクローズな場で言うわけです。


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マジスピラジオ:脱・お花畑の「真のスピリチュアル」を追窮します
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