こんにちは。
波動カウンセラーの林 昭裕です。
前回のブログでは、先日いただいたご質問
「お墓をどのように扱ったらいいか問題」
について見解を述べてみました。
お墓は必要? 意味ある? 遺骨はいらない? 散骨、樹木葬、永代供養、どれが正しい? お墓参りで運気アップって本当? 真の目的を知って、納得いくご先祖供養をしよう。今回は先週に関連することで
「仏壇・神棚をどうするか問題」
について述べてみます。
いつも以上に長くなりそうなので、2回にわたって述べていきますね。
今回の内容がお役に立てそうなのは、
・両親が亡くなり、家財道具の整理で引き取り手のいない仏壇や神棚を処分しないといけないんだけど、「粗大ゴミ」として捨てるのは気が引ける・・・どうすればいいんだろう?
・逆に亡くなった両親が大切に扱っていた仏壇や神棚は「魂の宿った形見」だから、とそのまま家に残すことを主張する親族がいる。けれども、自宅では誰も両親と同じ信仰はない。単に形見として置くにはサイズが大きすぎる・・・どうすればいいんだろう?
・自分の(義理も含めた)両親を一緒に住むことになったが、両親には信仰があり、その仏壇(神棚)を持ってくることに。でも自分は異なる宗教を信じているので、そうすると「ダブル仏壇」「仏壇と神棚」が一家の中に立つことに・・・どうすればいいんだろう?
※今回はここまでを説明します。以下は次のブログにて。
・自分の信仰と亡くなった両親の信仰とが違う場合、その位牌や遺影を自分の拝む仏壇に置いてもいいのか・・・どうすればいいんだろう?
・いや、そもそも「位牌」には意味があるのか?
・上記のような「仏壇や神棚(特に仏壇)」について、【開眼供養】や【閉眼供養】をお坊さんや葬儀屋さんにお願いすることは、本当に理にかなっているのか・・・実は密かに疑問を持っている。
※開眼供養=かいげんくよう=お仏壇を新しく購入したとき、買い換えるときに行う儀式/「魂入れ」ともいう
※閉眼供養=へいげんくよう=逆に処分するときに行う儀式/「魂抜き」ともいう
といった悩みや疑問をお持ちの方であれば、何かしらのヒントになるでしょう。
世の中にはお坊さんや葬儀屋さんなどの「業者」がたくさんおられるので、そういうサイトを見れば具体的な仏壇や神棚の処分方法はいくらでも情報があります。
なので、ここではそういう類のものは割愛し、もっと根本的なことを考えていきます。
私は今生では「スピリチュアル屋」として活動しており、特定の宗教には所属していないし、葬儀屋さんの回し者でもありません。
その意味ではかなりフラットに考えを述べられるかなと思います。
ただし私に「ポジショントーク」があるとすれば、「モノの浄化」や「亡くなった方へのヒーリング」(いわば「供養」や「成仏祈念」のようなこと)は行っています。
だからといって「絶対にヒーリングした方がええよ」なんて強引に誘導するつもりはないし、また当ウェブサイトは怖れや心配を刺激する内容は一切排除しているつもりなので、もしこういったことにご興味があれば安心して読み進めてくださいね。
目次
仏壇や神棚を遠慮なく捨てて構わないたった一つの理由
まず、上のような疑問に対する根本的な考えを述べておきましょう。
それは、
仏壇や神棚に、魂など宿っていない。
ということです。
大前提として、ココを抑えておかないといかん。
こう言うと信仰心の篤い方やお坊さんや葬儀屋さんからお叱りを受けそうですね。
特に「仏壇にご本尊様がおられる」と信仰、信念している方からすれば「邪教徒」「異端」でしょう。
でも、別に否定するつもりはなく、「捉え方や世界観の違い」ということでご理解いただければ幸いです。
後でも述べますけど、別にご自由で結構なんですから。
その上で前回の「お墓ってどう扱ったらいいの?」のブログで述べた内容と絡めると、
魂はお墓にはいないし、仏壇や神棚にも宿っていない。
ということ。
めっちゃドライに言ってしまうと、「ただのブツ」なのであります。
その大前提を理解しておけば、「仏壇や神棚をどうするか問題」については
あなたのご自由でいいですよ!
という結論になります。
もちろん「ご自由」とはいえ、仮にも仏壇や神棚はそれまで誰かがそこに心を向け続けた「尊い存在」である以上、粗末に無下に扱っていいもんじゃない。
(その意味において、お坊さんや葬儀屋さんに処分を依頼することは意義がありますよ)
そういう「尊いモノを大切にする」のは当たり前の常識ですぞ、と踏まえた上で、あとはご自由にやってくださいな、ということ。
ただ、私の見解はさっきも述べた通り、お坊さんや葬儀屋さんの言っていることと少し違うんですよね。
ある葬儀屋さんのウェブサイトには、こういう文言がありました(特定されないよう一部の表現を変更しています)。
もし閉眼供養しないまま仏壇を処分してしまうと、「故人の魂」をも処分することになってしまうので、開眼供養を行っているのであれば、忘れずに閉眼供養も行いましょう。
こちらを私なりに言い換えれば、
もし閉眼供養しないまま仏壇を処分してしまうと、「故人の魂」をも処分することになってしまうので、(というあくまで一つの物の見方や宗教的価値観に対して共感できる人に限り)開眼供養を行っているのであれば、忘れずに閉眼供養も行いましょう。
という感じになります。
引用した葬儀屋さんの表現は、仏壇(や神棚)には(もし開眼供養をしているのであれば)「魂が宿っている」という考え方ですね。
開眼供養を「魂入れ」って言うぐらいだし。
ただ、たとえ開眼供養を行っていないとしても、そこに「故人の魂」が宿っていると信じて朝晩に祈りを捧げているのであれば、仏壇(や神棚)は(少なくともその人にとっては)「魂が宿っている」と考えて良いでしょう。
違う例で言えば、「ただのブツ」であるはずのお人形さんを大切にしていると、扱っている人間の「念」がこもって、まるで生きているかのような感じがしてくる・・・というのは「敏感な人」にはときどきあることです。
なので、メルカリやヤフオクなどで中古の人形を買うのは積極的におすすめしない、というわけ。
ま、自分なりに、あるいはプロに浄化(浄霊)の手ほどきを施すのであればまだいいし、私もときおりそういう仕事をお受けするんですけど、そうするぐらいなら新品で買った方がええんちゃう? と思うんですよね。
新品ではすでに売っておらず、中古品でしか手に入らないモノであれば仕方ないですけど。
話を戻すと、
「仏壇や神棚に魂が宿っているか否か」というのは、なかなかハッキリとした線引きは難しい。
それは、そもそも「魂」と呼ばれているものは、論理で明確に語れるものじゃないからなんですね。
その意味では「どうとでも語れる」とも言えるし、それがスピリチュアル業界では良くも悪くも「言ったもん勝ち」という風潮を生むわけです。
「この仏壇(神棚)にはご先祖様が宿ってるんや!」って強く信念しているなら、それは少なくともその人にとっては「真実」なんです。
とはいえ・・・
私は人やモノの波動(オーラ)を観るのが仕事の根幹です。
また、生きている人でも死んでいる人でも関係なく、お名前さえわかれば波動がわかるというヘンタイです(笑)
そのヘンタイから言わせていただくと、
やっぱり仏壇や神棚に「魂」は宿っていない
というように、少なくとも私の物の見方においてはハッキリ言えるわけです。
なので、その考え方に基づくなら、
・両親が亡くなり、家財道具の整理で引き取り手のいない仏壇や神棚を処分しないといけないんだけど、「粗大ゴミ」として捨てるのは気が引ける・・・どうすればいいんだろう?
という最初の疑問に対しては、(もし気になるのであれば)お坊さんや葬儀屋さんに依頼してもいいし、もし「見えない世界」はあまり気にならないということであれば、粗大ゴミの回収業者に淡々と引き取ってもらってもいいんですよ。
大丈夫ですよ、淡々と仏壇や神棚を捨てたからといって、もしそこに罪悪感がなければ「バチ」なんか当たりゃしませんから(できれば感謝して手放しましょう)。
そして、
・亡くなった両親が大切に扱っていた仏壇や神棚は「魂の宿った形見」だから、とそのまま家に残すことを主張する親族がいる。けれども、自宅では誰も両親と同じ信仰はない。単に形見として置くにはサイズが大きすぎる・・・どうすればいいんだろう?
という次の疑問に対しては、家族内で話し合った上でお決めになればOK。
ただ、当ブログでの大前提は「仏壇や神棚に魂は宿らない」ということでした。
なので、(もし気になるのであれば)お坊さんや葬儀屋さんに依頼してもいいし、もし「見えない世界」はあまり気にならないということであれば、粗大ゴミの回収業者に淡々と引き取ってもらってもいい。
という全く同じ回答になっちゃいますね。
もう一回言うけど、
大丈夫ですよ、淡々と仏壇や神棚を捨てたからといって、もしそこに罪悪感がなければ「バチ」なんか当たりゃしませんから(できれば感謝して手放しましょう)。
実際、私が仕事で接したお客様の中で「淡々と捨てた」方々がおられますけど、そのあと別に「バチが当たった」的なことは聞いてないですね。
ま、もしバチが当たるとすれば、それはたぶん仏壇や神棚の問題ではないでしょうな。
仏壇や神棚をどう扱うかは「この世の問題」に過ぎない
ここまでで、「前回のブログ」をお読みになった方はお気づきかもしれません。
何か?
「仏壇や神棚をどうするか問題」もまた、お墓と同様に「あの世」に関する話のようでいて、実は思いっきり「この世」に関する話である、ということ。
だから、個人的には「お墓」と同様、あまり興味が湧かないジャンルなんです(汗)
しょせん「この世の問題」やんけ。
表向き「大切な人を、手厚く供養したい」って言えば美しく聞こえるけど、ホンネは「どうしたらオレたちワタシたちの気持ちが後腐れなくスッキリするか」って密かに思ってる人もいるんじゃないかな(「不謹慎」だから言わないだけで)。
そのスッキリの方法には絶対的な正解がないので、あとは家族みんなで話し合って決めればいい。
ただ、場合によっちゃあ、これが実にめんどくさい(汗)
実際に過去のカウンセリングでもあったんですが、「信心深い家族の一人」が仏壇や神棚を処分することに強く抵抗することによって、話し合いがうまくまとまらないことがある。
もう一度言いますけど、こういうときはマジでめんどくさいんだわ・・・
いくら私みたいな「専門家」が、「いや、別に仏壇や神棚には故人の魂は宿ってませんから、感謝の念を込めて手放してもいいんですよ」と言ったところで
「そんなことはあり得ない!オマエは間違ってる!」
って反論してくる場合があるんですよ・・・
ただ、これは正しいとか間違いとか以前に、そういう人は子どもの頃から親しんできたであろう宗教的価値観の外に出ることができないんですね。
例えば、その人の子どものころ、親が友人や知人から頂き物があったとき。
そのとき「信心深い家庭」であれば、いちど仏壇(神棚)にお供えする。
「まずはおじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖さまにお預けしましょうね」なんて言ってたんでしょうね。
もしそういう慣習をずーっと積み重ねてきた人なら、そりゃ仏壇や神棚に「故人の魂が宿っている」という概念は不動の信念にまで深まるかもしれない。
実は、私もそういう家庭で生まれ育った人間です。
ウチがたまたな仏教の宗派だったから、いただきものは基本的に仏壇にお供えしてきました。
仏壇を通して、生まれるときはすでに亡くなっていた父方の祖父母に、仏壇を通じてご挨拶したわけですね。
だからそういう人の気持ちはよーく理解できるし、神仏やご先祖への尊崇の念が何もない人に比べたら、そうとう立派には違いない。
でも、仏壇に「魂」はないんだって。
波動で観たって、いねえんだって。
いねえもんはいねえんだよ(笑)
前回もご紹介した『千の風になって』の有名な歌詞をここでも載せると
私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
もしこれに歌詞を勝手に加えるとしたら
我が家の仏壇の前で
話しかけないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
っていう感じですね。
後の段落で詳しく言うつもりですが、
大切な故人やご先祖は仏壇や神棚じゃなくて、本当はあなたの心の中に宿ってるんだから。
別に話しかけたっていいけど、それは仏壇や神棚じゃなくて、自分の心の中にいる故人やご先祖と対話しているってこと。
ま、別に「ワシも死んだらこの仏壇に入るんや!」って信念するのはご自由だけど、そうすると本当に死んだ後、どうなると思いますか?
成仏が難しくなりまっせ
死んだらあちらの「逝くべきところ」に行かないといけないのに、なんで「この世」のお墓とか仏壇とかにこもりたがる?
死んだ後の「引きこもり生活」が、楽しみで仕方ないって?
お墓は暗いのに、仏壇は狭いのに(笑)
原則として、多くの人にとっては「あっちの世界」の方がこの世よりいいのに。
あんたも好きねぇ・・・
それよりも「千の風になって」行きたいところに飛び立てる方が、よっぽど自由じゃない?
まぁ・・・こういうことは科学的な証明ができないから、なかなか難しい。
私はあくまで波動を観るヘンタイ能力を活かした経験の範囲内でしか、物事を言えません。
けれども、お墓と同様、別にコレといった絶対的ルールはないんだから、もしこのブログで述べていることが共感できたりワクワクしたりするんであれば、どうぞ取り入れてくださいな。
本当のところ、この世的にめんどくさいことのほとんどは必要ないんだから。
宗教・宗派の違いを超えて、仏壇も神棚も一つにまとめよう
では今回のブログの最後に、
・自分の(義理も含めた)両親を一緒に住むことになったが、両親には信仰があり、その仏壇(神棚)を持ってくることに。でも自分は異なる宗教を信じているので、そうすると「ダブル仏壇」「仏壇と神棚」が一家の中に立つことに・・・どうすればいいんだろう?
という疑問について回答しておきますね。
これもまた「仏壇や神棚に魂は宿っていない」という原則を踏まえてもらえれば、自ずと答えは出るんじゃないでしょうか。
いわく、「よく話し合った上で決めろ」ということ。
絶対的な答えなんかないんだから。
ただ、少し補足をしておきますと、
「仏壇は一つだけでいい」
ということです。
だって、今でこそ仏教にはいろんな宗派があるけれど、元はお釈迦さんの一つの教えから始まっているわけでしょ。
「ひたすら座禅を組め」と説く自力的な宗派もあれば、「ひたすら念仏を唱えよ」と説く他力的な宗派もある。
特にこの2つは対極的に捉えられるけれど、実は根っこは一つだし、求めている境涯も一つなんです。
なので、物理的・現実的なスペースの問題もあるし、仏壇は一つにまとめてもいいですよ。
あと、「仏壇と神棚のバッティング問題」については、それこそ「神仏習合」でコンパクトにしちゃえば解決よ。
そもそも「神仏」とセットで言葉にしている通り、私たち日本人はあまり「ここから先は神の領域」「ここから前は仏の領域」と、神と仏とを分離させないですよね。
私は職業柄、普通の人よりは神社に行く方だと思いますけど、神社によっては中に仏像やお地蔵さんが祀られていることがあります。
また、詳しくは割愛しますが「神道でいう●●という神様は、実は仏教では○○観音と言われている」なんてケースもあるわけですよ。
その意味において、もし一家の中で仏壇と神棚がバッティングするんであれば、一緒にしちゃえばええやん。
一緒にする仕方についてはルールはないので、尊崇の念さえあれば、自分たちがやりたいようにやればいいんじゃないでしょうか。
ただ、そうして話し合いを進めると、家系によっては自分の信仰する仏教を神道より上に持っていきたがったり、その逆になったりすることもあるわけです。
前回のブログから何回も言って恐縮ですが・・・ホンマにめんどい。
もうね、もはやそれは「この世の問題」だぞ。
くだらねープライドをぶつけ合っている場合か。
そもそも「自分の信仰の方が優れている」とか「アイツの信心の方が下だ」とか、そういう比較競争をすること自体、仏の道にも神の道にも反していると思わんか?
円満に解決するということが、神仏もご先祖も喜ぶ行いではなかったか?
・・・せっかくの信仰や信心なんだから、いつも「本質は何か」って考えてくださいね。
以上、簡単にまとめると、
・神仏やご先祖は、本来は私たちの心の中に宿っている。
・仏壇や神棚は、私たちが心を向ける道具に過ぎない(もちろん尊いものには違いないが)。
ということを踏まえた上で、納得いく方法を模索していってください。
ご参考になれば幸いです。
次回のブログでは、今のところ
・自分の信仰と亡くなった両親の信仰とが違う場合、その位牌や遺影を自分の拝む仏壇に置いてもいいのか・・・どうすればいいんだろう?
・上記のような「仏壇や神棚(特に仏壇)」について、【開眼供養】や【閉眼供養】をお坊さんや葬儀屋さんにお願いすることは、本当に理にかなっているのか・・・実は密かに疑問を持っている。
という、後半はお坊さんや葬儀屋さんに嫌われるかもしれない内容にも踏み込みたいと思います。
どうぞお楽しみに!
※なお、私はさっき述べたような「中古の人形」のような気になるモノのヒーリングや、亡くなった方への供養的なヒーリングを行っています・・・はい、完全に霊感商法です(汗)
なので、そういう世界や私自身を信じられ、かつご興味があれば以下のメニューをチェックしてみてください。
!
1:「波動の良い本」のご紹介(約12,000字)
2:「波動を高めるモノ・コト」のご紹介(約17,000字)
3:「波動を高める食事」のご紹介(約21,000字)
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