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夢や理想を実現できる人・できない人のたった一つの違い:スピリチュアル的な観点から

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回は

「【まず思うこと】というシンプルな真理をなめたらあかん」

ということについて考えていきます。

まず結論的なことから言いましょう。

今回の結論

「どうせ実現できないのだから、最初から理想など描かない方がマシ。人並みにつつがなく生きればいい」という考えは、"具体的なカタチとして実現しなければ、理想を描く意味がない" という「物質主義的価値観」に囚われている。これに深く気づかない限り、生きがいも充実感もない「動物としての人生」で終わってしまう。

20年ほど前『ケータイを持ったサル』という当時売れた本がありましたが、それから今に至っては「人間の家畜化」がさらに進んでいます。

スピリチュアル(精神性・魂性・神性)はどんどん忘れられ、自分の生命を超えた価値を求めることをやめ、ただ肉体的生命の安泰や維持のみが自己目的化するさびしい時代になりました。

・・・肉体はそう早くないうちに、滅び去るというのに。

その「家畜化」が "生命至上主義" として露わになったのが、つい最近の感染症ですね(わかる人はすぐわかるので、いちいち説明しませんよ)。

このままでは地球人類は確実に滅びるでしょう。

たとえ肉体レベルでは生き永らえたとしても、人間の本質は「魂」であるがゆえに、それを忘れてしまったら地球人類はもうオワコンです。

最近のブログで言っている「理想を描く」というのは、単に夢を叶えるとか自己実現とかいうレベルを超え、

【真の人間として生きるのか? それとも家畜の道を選ぶのか?】

という魂としての根源的なことを問うているのです。

夢や理想が実現できるとか実現できないとか、稼げるとか稼げないとか、そんな「この世のこと」を言ってるんじゃねーんだ。

少し過激なことを言うと、

【理想を持たない人間は、いまだ「真の人間」ではない】

ということなのです。

これを踏まえて、今日のテーマに入っていきます。


この世において物事は何らかのカタチとして成立・成形して、はじめて現実的な影響力を持ちうるものです。

定食屋でどれだけカレーライスが食べたいと心の中で思っても、店員さんに言葉(=カタチ)で「カレーください」と言うか「カレーライス」のタッチパネルを押さなければ出てきませんね。

この物質世界において、価値とは具体的な成果(カタチ)として残さなければ伝達・伝承できないのが原則です。

だからといって「カレーが食べたい」とカタチ以前にまず思わなければ、カレーが出てくる可能性はゼロに等しくなる。

たとえ結果的に「カレーは売り切れで出せない」とわかったとしても、少なくともカレーが食べたいという思いを持たずして、カレーにありつけることは絶対にない。

理想は必ずしも実現するとは限らないが、まず理想を持たなければ、実現することは絶対にないのです。

「経営の神様」松下幸之助のエピソードで【まず思う】というのがあります。

これが今回のタイトル【夢や理想を実現できる人・できない人のたった一つの違い】です。

これは松下かつての講演で「水道哲学」について語っていたときのこと。

水道哲学:幼少期に赤貧にあえいだ松下幸之助が、水道の水のように低価格で良質なものを大量供給することにより、物価を低廉にし消費者の手に容易に行き渡るようにしようという思想

ウィキペディア

この考えに対して、聴衆の一人から「松下さんのお考えはよくわかりましたが、でもそんなことをどうやって実現できるのでしょうか?」という質問がありました。

それに対して松下は、こう答えたそうです。

「それは僕にもわからんのや。でも、まず思わないとあきまへんな」

これを聞いて会場には笑いが起こったそうですが、その中でただ一人、この言葉に衝撃を受けた男がいました。

それが、後の稲盛和夫(京セラ創業者)です。

このエピソードは稲盛さんの本にしょっちゅう出てきます。

それだけ【まず思うこと】、最近の当ブログの表現で言えば【理想を持つこと】がいかに大事かということです。

でも、おそらく私も含めた大半の人は、松下を鼻で笑った聴衆の中の一人でしょう。

なんで笑うかと言えば、先ほど述べた

「具体的なカタチとして実現できなければ、何を思い何を考えたとしても意味がない」

という思い込み(物質主義的価値観)があるからです。

そこには具体的なカタチとして十分に実現されなければ、例えば

・周囲から評価されない

・社会的信用を失う

・バカにされる

・「失敗者」「負け犬」などの烙印を押される

・かけた時間やお金が無駄になる

・みじめな思いを味わう

・無能力感や無価値感に苛まれる

という不安や怖れが裏側に張り付いていることでしょう。

「その不安や怖れを乗り越えるための方法が【まず思うこと】だなんて、冗談じゃねーよ。そんなもん、小学生でも言えそうじゃねーかよ(笑)」

という感じで私たちの大多数は笑うのでしょうね。

この不安や怖れは、まさに「物質世界の価値観」がベースになっていることがわかります。

つまり「まずテメーの外向きの見栄や体裁やプライドを守る」という、「肉体を最も大事にしたい気持ち」が根本にあるわけです。

そうやって肉体本位で生きているため、【まず思うこと】の魂的な価値に気づけない。

肉体への執着(家畜化)が深く進行しているため、魂的な価値がわからなくなっている。

稲盛和夫が松下幸之助の言葉に衝撃を受けたのは、すでに眠っていた魂的な価値が鮮烈に揺り動かされたからでしょう。

とはいえそんな人は超少数であって、世の中は魂より「肉体本位」で生きている人が大半であり、不安や怖れをベースに生きていることが「常識」であるため、【まず思うこと】を幼稚な精神論として一蹴してしまうのは無理もありません。

けれどもこの従来の認識を一新しない限り、いくらスピリチュアルや精神的な分野の知識を蓄えようと、肉体本位のエゴを乗り越える勇気が出てこないため「スピリチュアルごっこ」で終わってしまうでしょう。

そういう人たちが物質主義的価値観に彩られた「引き寄せの法則」をスピリチュアルだと勘違いするわけだ。

【まず思うこと】を笑うのは、以前のブログで言った

「理想は現実であり、現実は理想である」

ということが真に理解されていないからです。

もちろん【まず思う】からといって、物事がその通りに実現することはないでしょう。

しかし、この世のすべてのことは【まず思うこと】から始まるのです。

神光あれと言い給ひければ光ありき(神は「光あれ」と言われた。すると光があった)

『創世記』冒頭

あまりに有名な聖書の一句ですが、これが「創造/想像」の神秘であることを肚で理解せねばならない。

別に私は自己啓発や成功哲学を言いたいわけではありません(そもそも苦手だし)。

成功哲学の定番は「思考は現実化する」なので、今回はそれと同じことを言っているように思われるかもしれませんが、実は似て非なるもの。

成功哲学は文字通り、「この世での成功」を説く。

でも、あくまで「魂」や「あの世も含めた生命」まで考える私の立場としては「この世での成功」はマストではありません。

たとえすべてが現実化しないとしても、この世では日の目を見ないとしても、失敗や屈辱にさらされたとしても、【まず思うこと】【理想を抱くこと】は大切であるどころか「魂の義務」ですらあるのです。

それはなぜかといえば、理想、つまり自分の肉体の安定や成功を超えた想いを抱き続けることによって、「神の叡智」を引き寄せて魂の無限成長の道を歩むことが、万人に課せられた天命だからです。

「神の叡智を引き寄せること」のが【真の引き寄せ】だということは、前々回のブログで述べました。

この「物質世界での葛藤」とは、理想を抱く者に対し「理想が現実にならなかったら意味ないじゃん」とか「いつまで青臭い希望を持ってんだよ」とか、魂の価値を忘れた大人(魂的にはクソガキ)たちから冷笑や嘲笑、ときには攻撃や嫉妬を受けることです。

これはよくあることですよね。

ただ、この "クソガキども" の抵抗の背景にあるのは、繰り返しますが

・「どうせ実現できないのだから、最初から理想など描かない方がマシ」

「具体的なカタチとして実現できなければ、何を思い何を考えたとしても意味がない」

・「まずテメーの外向きの見栄や体裁やプライドを守る」

・「成功の可能性が十分に見込めないなら、思い描くだけソンじゃねーか」

というショボい物質主義的価値観であることを見抜く必要があります。

しょせん魂の幼いクソバカ野郎の戯言に過ぎないのです。

霊的な価値観からすれば、大切なのは理想をカタチにすること以上に、本当の時間である「この瞬間」を真に充実して生きること。

「未来」とは本当の時間でない以上、「未来のどこかで夢や理想を実現する」というのはあり得ない。

真の理想の実現とは、「この瞬間」以外にはありません。

その積み重ねの果てに運が良ければ物質的・社会的に成功することもあるのであって、それはあくまでオプションに過ぎない。

たとえこの世的には成功できなかったとしても、世間的には「犬死」だったとしても、理想を抱き【真の引き寄せ】に与(あずか)ることのできた魂には、物質を超えた深い満足感がある。

これは、この物質主義的価値観ゴリッゴリの地上世界の中で、真の理想に燃える人間だけが知っている「秘密」なのです。

人が夢や理想の実現ができるかどうか悩んでしまう根源的な理由は、本当の時間ではない未来に対して「本当に実現できるか知りたい、確信が欲しい」という無体な欲望を持ってしまうことです。

そもそも誰もわからん未来のことを知ろうとするところに、迷いがある。

それで占いに行く人も出てくるわけですが、占い師だってあんたの未来は知らんがな。

第一、その占い師自身、自分の未来がどうなるかなんてわからないんだから。

もしすべての占い師が自分の未来が見通せるなら、みんな大成功者になっとるわい!!

ちなみに私がやっている「禅タロットリーディング」は、あくまで自分の内面を見つめるためのツールであって、未来という「神のみぞ知ること」には干渉しません。

もっとも、多くの占い師は未来を鑑定するのも仕事の一つだと思っているし、お客さん側も未来を知りたがる人が多いけど、本当は未来なんかねーんだよバーカ(笑)

ただわかるのは、「今をどう生きるかだけ」なんです。

この瞬間を神道では『中今(なかいま)』といいますが、中今のみが「霊的時間」であり、それを真に充実させるための根源的心得が、地上での実現の可否を超えた「理想」を【まず思うこと】だと、最近のブログではずっと言っているわけだ。

・「未来のいつか実現できるような夢や理想じゃなきゃ、ただの妄想じゃん」

これが「スピリチュアル版・バカの壁」でして、この "もっともらしい幻想" を超えられるかどうかが、マジスピ(真のスピリチュアル)の道を歩めるかどうかのカギになります。

もちろん、「オレに鳥のような翼をください。いつの日か、この大空に翼を広げ飛んでいきたいよ」という思いは妄想でしょうよ(笑)

さすがにこれはアウトやわ。

どうしても翼が欲しいなら、たぶん鬼にならないとあかん(@鬼滅の刃)。

けれども、前にブログで触れたキング牧師やガンジーのような「永遠平和への希求」というのは妄想ではありません。

「今生の人生では叶えられないだろうし、難しいことは百も承知だが、いつか必ず成就できるものだし、真善美を志向できる人間・人類として何としてでも成就せねばならないのだ」という、理想というより「悲願」を打ち立てたとき、魂は躍動を始めるのです。

で・・・こう言うと「自分はキング牧師やガンジーみたいな立派な人間じゃない」と反論する人が出てくるんですが、これまた物質主義的価値観に汚染されている証拠なんですよ・・・

これはまた次回以降に述べましょう。

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