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運命やカルマ、生まれる場所、恋愛運や金運は最初から決まっている必然か? 偶然か? 占いを超えて心から安心して生きるスピリチュアルな物の見方。

こんにちは。

波動カウンセラーの林 昭裕です。

先日、仕事とプライベートを兼ね、久しぶりに大阪の実家に帰っていました。

せっかく帰ったので、かつての恩師や旧友にも会い、なかなか充実した日々を過ごしました。

以下の写真は、帰りの新幹線の前に観に行った、「なんばグランド花月」での漫才と吉本新喜劇です。

中身はめっちゃおもろいのに、例の感染症の問題により、900人キャパの会場で150人ぐらいでした。

早く以前のようにチケットがなかなか取れない「満員御礼」の状態に戻ってほしいなと願いつつ、今回の本題です。

「運命は決まっている説」「生まれる場所を選んだ説」は本当なのか?

今回は、

・「私たちの運命は、生まれるときから決まっているのだろうか?」

 

・「スピリチュアル業界の『人間は生まれる場所を選んで生まれてきた説』は本当なのか?」

 

・「もし運命が決まっているなら、私たちは運命のいたずらに翻弄されるだけなのか?」

などの問いを考えていきます。

実はこのブログの投稿日の翌日、珍しく顔出しの動画を出す予定で、そこでも今回のテーマについて考えを述べています。

〈アップしたらここにリンクを貼ります〉

ただ、今回の動画はこのブログの前に作成したもので、原稿なしで思いつくままにアウトプットしたもの。

そのざっくりした内容は動画や音声には向いているでしょうが、今回のテーマはすごく大事なので、文章でもう少し深堀りしたいと思います。

占いやスピリチュアル業界においては、

「ある程度、運命は決まっている」

という前提で進められていることが多い印象です。

例えば私も駆け出しの頃にやっていた「数秘学」や、「占星術」や「四柱推命」などは、その人の生年月日を基点に運命を鑑定していくものですね。

占いの宣伝で「怖いほどよく当たる」なんて言われているものの多くはコレです(主に直感を用いるタロットもまた、不思議と「当たる」ことが多いものですが)。

私も占いの現場にいた時期があるので体感でわかりますが、ご相談にお越しになるお客様も、利用歴が長い人ほど「ある程度、運命は決まっているんじゃないかな」となんとなく思っているのではと察します。

だからこそ、「この恋愛について、今後どうなりますか?」と、自分の今後の努力や工夫はひとまず横に置いてお聞きになるわけです。

そこで占い師側から「そうですね、今回の恋愛はちょっと厳しい流れが見えます」なんて言われたら、「あ、そうなんですね。じゃ今回深入りするのはやめておきます」と、アッサリと言う人もおられるんですよ。

これは金運や仕事運でも同様のことが言えます。

「独立するのは再来年まで待った方がいいわよ」と言われたら、それを本当に真に受けてしまう人もいるんです。

あくまで私の価値観からすれば、

「えっ? 占い師といったって『しょせん他人』だし、あなたの人生に責任も負えないのに、その言葉をそのまま信じちゃうの? それって自分で判断するのを放棄してるんとちゃうの?」

ってツッコミを入れたくなります。

(ま、そもそもそんなヤツが占いの現場にいることがミスマッチなんですが  笑)

あくまで「参考程度」に留めておけば健全だと個人的に思うわけですが、どうも「運命はある程度決まっている」という前提があったり、また過去の占いでズバーン!とガチで当てられることがあったりすると、けっこう信用してしまうんですよね(そりゃ当たることもあります)。

それは無理もないことだし、だからこそ今後も占い業界はなくならないし、むしろコロナ禍で世相が混乱している中、占いやスピリチュアルはますます盛んであります(私はコロナ前後でほぼ変わっていませんが・・・)。

占いの鑑定通りの運命や未来にならないケースもある

とはいえ、そんな「運命はある程度は決まっている」という前提があるこの業界の中で、カウンセリングを通じていろんな人とお話をしていますと、ときどき

「生年月日をベースとした占いの、鑑定通りの運命になっていかない」

というケースが出てきます。

これがめっちゃおもろい。

例えば、占い師から

「(生年月日から鑑定するに)来年はけっこうしんどい一年になるかもしれないわ。特に人間関係ね。なので、家庭や職場で取っているコミュニケーションについて、少し見直してみたらいいわよ」

なんて言われたとします(いつもこういう事例を出すときはおばさん口調になる・・・)

ところが、実際にその一年を過ごしてみると、占い師が言うように人間関係でトラブルが起きたわけではない。

めちゃくちゃいいことが起こったわけでもないけれど、しかし全体的には平和に穏やかに流れていった・・・と。

個人的な経験として、こういうことは比較的ありますね。

そういう人の場合、そもそも「あたたかい性格」だったり「誠実な人格」だったりすることがあるので、よっぽどのことがない限り、人間関係で重たいトラブルなんか起こらないんですよ。

そういう意味では、「運命は人格にあり」と言われるように、たとえあらかじめ運命は決まっているとしても、それを超えていける力を人間は持っているのかもしれません。

ちょっと常識的に考えてみればわかりますが、同じ生年月日で生まれた人がその後まったく同じ運命を辿るかというと、全然そんなことはないはずですね。

もうちょっと客観的に考えてみましょう。

ユニセフのデータによると、2018年に生まれた子どもの数は「約1億4000万人」のようです(コロナ禍の2020年はさすがに現象した模様)。

この数字を365日で割ると、1日あたりの出生数は「約38万3000人」になる計算。

じゃあ、この約38万3000人が今後、全く同じ性格だったり運命を生きたりするかといえば、全くそうではない。

たとえ生年月日が同じだとしても、生まれた環境、先ほど述べた人格、趣味や興味の方向性、そして人生において誰と出会うかも違うわけなので、当然のことですよね。

以上のことを総合すると、

確かに運命は一面では決まっているかもしれない。

 

その意味では、占いの類を完全に否定するものではない。

 

しかし、必ずしもそうだと言い切れない側面もある。

 

よって、運命は決まっているとも言えないし、決まっていないとも言えず、最終的には個人の人生観に委ねられている。

そういえば、こんなことを言う自分も「禅タロットリーディング」という占い的なメニューをやってますね(笑)

ただ、ちょっと宣伝になってしまいますが、これはあくまで相談者の内面にアプローチするタロットである(と個人的に理解している)ので、別に「決まっている運命」を観るものではないんです。

私は

「人間は運命の操り人形ではなく、むしろそれを積極的に変えていける可能性を持っている」

と考えているので、「あと半年後に出会いがあるわよ」とか「今年の金運はイマイチだわね」とかは言いません。

ただ、それもまた先ほど述べたように、運命をどう捉えるかは個人の人生観にゆだねられています。

「運命は決まっている説」が不徹底だと不幸になりやすい

「あくまで考え方は自由」だと前置きした上で述べますが、私は「運命はかなりの割合において決まっている」という価値観の場合、それが中途半端で徹底できていなければ、不幸に陥るリスクがかなりあるんじゃないかなと懸念しています。

これは占いやスピリチュアル、また宗教でもよく出てくる「カルマ論」(過去の行いが因果応報的に現在の幸不幸を決めるという考え方)の注意点にもつながってくる話です。

例えば、

・生まれながらにして先天的な難病を持っていた場合

 

・生まれた家庭が育児放棄や虐待などの暴力に満ちていた場合

 

・容姿や才能が相対的に劣っており、ひどくコンプレックスを持ってしまった場合

 

・自分が悪いわけではないのに、不慮の事故やトラブルに巻き込まれ続ける場合

 

・恋愛や仕事などにおいて、何をやってもうまくいったためしが全くなかった場合

という、もちろん物の見方次第ではあるけど、一般的には「不幸」「不運」だと思われることの多いケースがあります。

もしこのとき、「運命はかなりの場合において決まっている」といった価値観に立脚するとすれば、

「自分の人生はしょせんこんなもんだ・・・」

というあきらめの人生になりかねないのではないでしょうか。

これに「カルマ論」を当てはめて考えてみれば、

「こうなってしまうのは、過去世からのカルマだから逃げられないんだ・・・」

という感じで、「人間の力ではどうしようもないんだ」という無力感がにじみ出てしまいます。

先ほども述べた通り、占いの現場では「運命はある程度決まっている説」が全体の空気感になっているので、かなり不幸なケースを抱える相談を持ち込まれた場合、占い師は割と

「これはあなたのカルマなのよ(=だから受け入れるしかないのよ)」

※【ホンネ】「だからこれ以上ゴチャゴチャ言うなよ!」と、占い師が密かにマウントを取るときにも使われる

と言うことがあります。

ただしそう言われると、まるで水戸黄門の印籠でも見せつけられたときみたいに「ううう・・・」と相談者側は “詰んだ状態” に陥って何も言えなくなるでしょう。

個人的に、こういうやり方は絶対したくない。

一方、これまで人生を自分の意志で積極的に切り拓いてきた人にとっては、

「運命は自分の力で変えられる」

と、「そのまんま自己啓発やん!」って感じの価値観を持っている人が多いでしょうね。

こういう人は、たとえ運命が最初から決まっていようとも、「そんなもん知るか!」とばかりに自分で積極的に行動して人生を変えていくので、占いやスピリチュアルは特に必要ありません(汗)

ただ、この感覚が行き過ぎると

「自分は運命から、神から、選ばれたエリートなんだ」

と、傲慢に陥る場合があるんですよ。

実際、現在の世界的なエスタブリッシュメント層の中には「自分は神から選ばれた特別な存在なのだ」と思い込んでいる人もいるようです。

なので、「神の代理人」である自分は「神に選ばれなかった下層の人間ども」に対して思い通りにコントロールしていいんだ、という考え方まであるとか。

ま、こういう「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務)」のかけらもない中二病マックスなヤツの波動(オーラ)は確実に低次元なので、「神から選ばれている」わけないんですけど。

いずれにしても、「運命は最初から決まっている」という考え方を不徹底に中途半端に採用してしまうと、それがネガティブな方面だろうがポジティブな方面だろうが、あまり幸せにはなれないかなと思いますね。

「天から愛されている」「運命に導かれている」という深い気付き

私は「人間の運命は決まっているのか?」という問いに対しては、繰り返しますが、「完全に決まっているとは言えないし、決まっていないとも言えない」という考え方です。

そして、スピリチュアル業界でよく言われる「生まれる場所を選んで生まれてきた説」については、それも厳密に本当かどうかはわかりません。

多くの子どもたちの証言を集めた、いわゆる「過去世」の研究レポートにおいては、「おそらく生まれる前から場所や時期を選択したのではないか」と言われています。

でも、「本当に選んで生まれてきたかどうか」は、生前の記憶をハッキリ持たない私たちには、完全に証明のしようがありませんね。

私は職業柄、お相手の「過去世」を観ることもありますけれど、それが本当に過去世なのかどうかは断言できないので、その伝え方には慎重になります。

なので、「人間は自分の運命を選んで生まれてきた説」についても、慎重にならざるを得ません。

ただ、ここは明日出す予定の動画でも述べているのですが、絶対確実に言えることがあります。

それは、

たとえ運命が天から与えられた自分ではコントロールできないものだとしても、また逆に運命はすべて自分が生まれる前に描いた青写真(ブループリント)の通りに展開するものだとしても、大切なことは

 

「これが自分にとっての、かけがえのない道なのだ」

 

「これが自分に与えられた、唯一無二の物語なのだ」

 

「すべての出来事には、必ずや深い意味があるのだ」

 

と、思い定めることができるかどうか。

ということだと考えています。

詳しくは動画でも語っていますが、自分がこれまで歩んできた道は「偶然」とも言えるし、それ以外に選びようがなかったという点においては「必然」とも言えるわけです。

これまで出会った友人や先生やパートナー、またこれまで進んだ学校や会社など、もしかしたら他の選択肢もあったかもしれないという意味では「偶然」です。

しかし、結果的に、ある特定の人を友人に、先生に、パートナーに選んだというのは「必然」でもあるわけです。

このようにして考えると、確かにこの世界は偶然が支配する世界、言い換えれば、運命が思い通りに進まない世界かもしれない。

けれども、その世界の中で、私たちは確実に何かを意図的に選択しているわけです。

まして、現代のように昔に比べてさまざまな価値観があり、また選択の自由も幅広く与えられている時代においては、なおさら「自分で選んでいる」部分が大きくなっています。

その意味で、私は「思い通りにいかない運命を与えられている」という見方と、「運命は自分で選び取っている」という見方を統合した、

「これが自分にとっての、かけがえのない道なのだ」

「これが自分に与えられた、唯一無二の物語なのだ」

という考え方を提唱したいんですね。

運命はなかなか思い通りにいかないものではあるけれど、しかしその中で何を選ぶかは自分の意志にかかっているのだと。

ただ、これは私が考え出したのではなく、古今東西の優れた生き方を送られた方々における、共通した信念ではないかと感じています。

もちろん、「与えられた運命」が過酷であればあるほど、そう簡単に上のような信念に至ることは難しいでしょう。

けれども、つらつら考えてみるに、人間が真の安心(あんじん)を得るためには、どうもこの根本的な信念を育む以外にはないように思うわけです。

前の段落で「『運命は決まっている』という価値観が中途半端で徹底できていなければ、不幸に陥るリスク高い」と述べましたが、それを徹底したのがここで述べていることです。

「確かに運命は決まっているかもしれないが、それを自分はどこまでも生き抜くのだ」という覚悟が、徹底した態度です。

人間の「真の霊性」(マジスピ)、魂の底力というのは、与えられたマイナスに見えるような運命をプラスに反転させていくことにあります。

そして、「偉大な魂」であるほど、そのマイナスの幅もまた大きいでしょう。

それは表面的には不幸なことですが、実は「天」から眺めれば “可愛がられている” ようにも思います。

もし不運や災難の多い人が、深い気付きを得た結果「自分は天から愛されている」「実は自分は運命の側から導かれていたのだ」という心境に至ったとき、その人はすさまじい「光」をそのオーラから発揮することになります。

そして、その人は、今度は多くの人に「光」を与える存在になるわけです。

私たちがスピリチュアルを学ぶ根本的は意味は、こういったところにあるんでしょうね。

ま、こんなこと言う私はまだまだ未熟な存在ですし、そうたやすく上記のような信念には到らないものの、少なくともこういう境涯を求めていきたいとは思っています。

今回は、人間の運命について考えてみました。

ご参考になれば幸いです。

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