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目次
「好きなことで生きる」だけでは、天命には巡り会えない
今回の要点
- 天命とは「声なき天からの命令」に応える姿勢のことであり、具体的な職業や役割は表層的なものに過ぎない。
- 「好きなことだけで生きる」のは単なる好き嫌いの話。天命は感情を超えた直観で選び取るもの。
- 天命を生きるには「自分探し」の無限ループを手放し、「いま・ここ」が自分の道だと思い定めること。
今回は「天命は好きなことだけで生きるのではない」というテーマです。
これまでも何度か話してきましたが、今回はまた違う角度から話します。
まず「天命は "好きなこと" とは限らない」ということを覚えておいてください。
「好きなことだけで生きていく」というキャッチコピーは、数年前にYouTubeでよく言われましたよね。
ところがYouTubeの広告収入が以前より落ちてきているので、プラットフォームに依存している状態では「好きなことだけで生きる」のは難しい現実が見えてきました。
世の中の表層的な流行に流されず、普遍的な「天命」というものを考えなければなりません。
さて「天命」と聞くと「特別なことをしないといけないのでは?」「差別化をしないといけないのでは?」と思う人もいるようです。
私はよく「特別な天命が仕事がなっていますね」と言われます。
まぁ私のような仕事はちょっと特殊ですから、そう感じられるのかもしれません。
けれども、天命とは「特殊な仕事」とは限りません。
以前もどこかで言いましたが、天命というのは「天からの命令」なんです。
つまり「お前はこうしなさい」と天から命じられるということなんです。
「天からの命令」は実際に耳に聞こえるわけではありませんが、直観として受け取るということですね。
たとえそれがこの世的には平凡なもの(会社員とか専業主婦とか農家とか)であっても、それを天命だと信ずることができれば、それは立派な天命なんです。
もちろんユーチューバーが天命だと本当に信じられるなら、そしてたとえ「嫌なこと」であってもYouTubeのためなら乗り越えられる気概があるなら、それも天命だと言えるでしょう。
いずれにしても、天命は何らかの「職業」や「役割」というカタチではありません。
よく「私には天命なんてありません」「普通の専業主婦です」「普通のサラリーマンです」と言われる方がいます。
けれども、どんな職業や立場であっても天命はあくまで「自覚」の話なんです。
つまり「天は私に対して何をせよと言っているのか」を問い続ける営みなんですよ。
常に天と対話をすることなんです。
いや、より正確に言えば「天から問われ続けている」ということです。
それが「天命を生きる」ということなんです。
ここを押さえておかなくてはいけません。
「好きなことだけで生きる」のは、別に天との対話は必要ない。
ですからユーチューバーの中には、たとえ人気であっても精神的に幼いと感じる人がいるわけです。
天との対話を欠けば、精神は成熟しないからです。
もちろん最も理想的なのは、好きなことをしながら、かつ天との対話があることです。
これができれば申し分ないんですが、このケースはあくまでごく一部の限られた人でしょう。
多くの場合、天との対話を続け、天命を実現するために地道な努力をしていくうちに、だんだん好きになっていくパターンです。
だって、最初から好きなことで生きるのは難しいですからね。
本当に好きなことをやろうと思ったら、最低でも10年程度の修行期間がいるのではないでしょうか。
私にしても今の仕事の前は約10年間サラリーマンをしていたわけですから、それが修行といえば修行かもしれません。
また、いくらスピリチュアルが得意で好きだからといっても、仕事にしようと思ったらなかなか大変ですよ。
こんな地味な文字起こしなんか、できればやりたくないし(笑)
下地はAIにやってもらってますが、全部見直して書き直しているのでラクではありません。
表面的な部分だけで判断しないことです。
江戸時代の儒学者に佐藤一斎という方がいます。
維新の志士たちにも大きな影響を与えた思想家です。
この方の著したものに『言志四録』という有名な本があります。
その中に志や天命について書いた部分があります。
凡(およ)そ事を作(な)すは須(すべか)らく天に事(つか)ふるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。
この天というのは「自然」と言っても「直観」と言ってもいいでしょう。
「天に仕える心」というのは、欲の身を抱えながらも、私心を捨ててゆく道です。
そりゃ「好きなことだけで生きていく」という生き方とは、ニュアンスが全く違う。
人に見せる(示す)必要はない。
褒められる必要もない。
もちろん、評価を求めるものでもない。
ただただ、天に仕えるということ。
天は自分に何をせよと言っているのか、自問自答すること。
それを、死ぬまで続けること。
究極的には、一生売れずに人生を終える画家のように、たとえ作品が売れなくても(それが自分の天命であると信ずるなら)描き続けるということなんですね。
ということを言えば、人によってはかなり厳しい生き方になってしまいますが、これは仕方がない。
それが天命であれば、そうしなければならない。
私もまた、今のスピリチュアルの仕事では生活していけないだろうなと思いつつ、約10年前に起業しました(副業期間を入れたら約15年前)。
食っていけないだろうと思ったけれども、自分にはこれしか生きる道はありませんでした。
本当に食えなければそのまま死ぬか、売れない芸人みたいにバイトで食いつないでいただろうと思います。
ときに肉体生命を危機にまで追い込んでしまうのが、天命の厳しい部分です。
でも、それが「天からの命令」であれば、それに応えなければ「生きている意味」が感じられない。
そこまで厳しいものではない会社勤めや専業主婦であっても、いま自分に与えられている役割を深く自覚して取り組んでいけば、それまで見いだせなかった苦悩と、そしてそれに見合った生きがいを見出せるでしょう。
ここでのポイントは「苦悩」ということです。
普通のスピリチュアルのように、天命を生きればハッピーでラッキーなことが起こりますよ!なんて言いません(笑)
「天命を生きる」というのは、小さくとも何かに挑戦していく生き方ですから、苦悩が伴うに決まっている。
たとえ決まった仕事をしていたとしても、それを天命だと思って取り組んでいれば創意工夫がアイデアが湧いてくるものです。
それで試行錯誤することもまた苦悩ですね。
でも、苦悩があるからこそ、「生命」が拡大発展していくことへの喜びもあるわけです。
「いま・ここ」が天命成就の道だと思い定めるしかない
そして佐藤一斎の別の言葉に
「天に仕えるというのは、志を持つこと、そして恥を知ることだ」
という一節があるんです。
これは「天に対する恥」だと思います。
つまり「お天道様が見ている」ことを自覚せよ、ということ。
この「恥を知る心」というのは、天を相手にしないと出てこないものであって、その意味では宗教性を帯びていると言えます。
日本人が感じる恥は、昔で言えば「世間様に申し訳ない」という思いから出ていますが、この「世間」は天に通じている感覚でしょう。
そして、これは旧約聖書の『箴言』の一節、
「主を恐れることは、知識の始めである」
にも通じます。
天命を生きるには、上の意味での恥を知り、そして主(ここでは天)を怖れること。
簡単に言えば、「被造物」としての謙虚さを持つということ。
ここまで言えば、「好きなことだけで生きていく」がモットーのユーチューバーとは、根源的に全く異なるのがおわかりと思います。
そして、天命とは職業や役割などのカタチではなく「態度」のことだと改めて述べておきます。
常に「声なき天の声」に心の耳を澄ませようとする態度は、「祈り」です。
自分に与えられた役割を果たそうと天に祈りつつ、目の前の仕事や役割に取り組むこと。
もし現在の境遇が意に沿わないものであったとしても、「今はこれが与えられた環境なんだ」と受け止め直し、取り組んでいくことが大事です。
というのも「天命探し」と「自分探し」は似たところがあって、あまりに「本当の天命」や「本当の自分」に執着すると、今の環境がおそろかになってしまう危険性があります。
そうじゃなくて、今の「目の前の環境こそ、現時点での天命を果たす場だ」と受け止め直すことが必要です。
人によっては、ここでエゴが抵抗してしまうでしょうね。
「こんな環境は自分の天命じゃない!」と怒りや悲しみのような思いが湧いてくるかもしれません。
私も過去、そんな時期がありました。
「俺にはサラリーマンという形態が絶望的に合わない・・・」と、くすぶっていた時期のこと。
でも、当時の自分に足りなかったのは上記の「恥を知ること」や「主を怖れること」という態度でした。
そこには他人と表面的な部分で比較してしまっている心の動きはないかどうか、自分を見つめてみることです。
今はメディアによって、華やかに活動している(ように見える)人が簡単に目に入ってしまう。
(波動・オーラとしては暗く重たい「人気者」も少なからずいますが)
それで収入や人気やステータスなど「この世での評価」に惑わされるほど、天命から遠くなっていく。
それで「自分もユーチューバーになって有名になろう」って浅はかに考える人も出てくるかもしれません。
これは最初に述べた「好き嫌い」の感情の世界ですから、天命からはますます離れていくでしょうね。
私が観ていると、人気ユーチューバーの何割かは波動が暗く重たいです。おそらくウケ=再生回数ばかり狙っているうちに、自分を見失ってしまったのだと思われます。
たとえ地味でも良い。
人に好かれなくても良い。
できれば儲かった方がいいし、適正に儲けるための努力はするけど、結果的に儲からなくてもそれは仕方がない。
本当に「天との対話」がされているのであれば、この世的にはまだ十分でなくても、それなりに充実感は得られるはずなんです。
少なくとも、私はそう思い定めて日々を生きてきました。
(精神的に苦しかったサラリーマン時代は「何とか踏み留まる」だけで精一杯でしたが・・・)
こういう地味なブログでも、地味な動画配信(音声Podcast)でも、天命を信じてやり続けていれば、どうやら天は生かしてくださるようです。
そうでなければ、10年以上もこの地味な仕事が続く理由がわかりません。
現代の物質主義的価値観とはズレたことを言っているこのウェブサイトや動画は、それほど読まれているわけではありません。
もし数字や人気を主な判断基準にしてしまったら、私はとうに自信をなくしているでしょう。
でも、私はこの世のことはある意味では無視して、「天との対話」を心がけています。
その上で、たとえ無名で終わろうとも、この仕事をやり続ける以外に道はない。
起業したときからそう思っているからこそ、淡々と続けることができるわけです。
運が良ければ天命を果たしながら人気を得ることもできるのでしょうが、それはほんの一握り。
私たち凡人は、目の前のことが天命だと思って取り組む以外に方法はないのでしょう。
もちろん、現状の環境が不満であれば改善を試みたり、会社勤めであれば転職することも考えた方がいい。
何も現在の環境だけがすべてではありません。
いずれにしても、そこに「祈り」があればいい。
感情の好き嫌いだけで判断せず、「天は私に何をなせと言っているのか?」を問い続けること。
それは苦しい営みではありますが、先ほど述べた通り、そうして苦悩しながら人は自分の道を求めていくものだと思います。
私自身、サラリーマン時代の今でも思い出したくないような葛藤があればこそ、今の仕事の有り難さがより感じられます。
いま振り返れば、サラリーマン時代と現在の環境は、一本の道でつながっています。
もし過去に戻って当時の自分に声をかけられるとしたら、
「その道もまた、天命へとつながっているから心配するな」
と伝えるかもしれませんね。
改めて、今回の要点
- 天命とは「声なき天からの命令」に応える姿勢のことであり、具体的な職業や役割は表層的なものに過ぎない。
- 「好きなことだけで生きる」のは単なる好き嫌いの話。天命は感情を超えた直観で選び取るもの。
- 天命を生きるには「自分探し」の無限ループを手放し、「いま・ここ」が自分の道だと思い定めること。
なお、YouTube(Podcast)の内容と今回の文字起こしの内容は、少し異なる部分があります。
よければ両方チェックしていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。





