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目次
「真の親孝行」とは、与えられた命を精いっぱいに活かすこと
今回の文字起こしの要点
- 一般的な親孝行(感謝・介護・旅行など)は根本ではなく、与えられた命を活かし切ることこそが真の親孝行。
- 親孝行の「孝」とは先祖から命を受け継ぎ、未来に継承していくこと。親の言いなりになることではない。
- 親の理解が得られず反発しても、天命だと信ずる道に邁進することが、真の意味での親孝行。
- 運命の出発点としての家庭環境を善悪を超えて受け入れるほど、運命は大きく展開してゆく。
今回のタイトルは「〈真の親孝行〉こそ運命を開く唯一の道」です。
とても大事なことですが、「親孝行しないとダメ」とお硬い道徳的なことを言うつもりはありません。
これは無料メルマガの第300回目として配信した文章がベースになっています。
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では本題に入りますが、「親孝行」と聞いた瞬間、嫌な気持ちになる人もいらっしゃると思います。
私もどちらかと言うと嫌な方ですね。
これは道徳として、つまり「外側からの強制」として聞いているとき、あまり良い気分にはなれません。
もちろん内発的に親孝行がしたい、するのが当然だと強く思っている人ならいいんですけどね。
親孝行の一般的なイメージは、「親に感謝を伝えること」「仲良くすること」「たまに実家に帰って顔を見せること」でしょう。
これはもちろん悪いことではないので、できるならやった方がいい(個人的には親に感謝を伝えるのは恥ずかしくてできませんが……)。
ただ、この配信は【真のスピリチュアル】をテーマにしていますから、今回はそういう「この世」的なことを言いたいんじゃありません。
では、「真の親孝行」とは何かというのを先に言っておくと、「与えられた命を精一杯に活かすこと」です。
自分に与えられたであろう天命や使命に対し、懸命に向かっていくこと。
これが「真の親孝行」なんです。
「孝」というのは、先祖から受け継いだ命を、未来へと継承していくこと。
「命の継承」とはつまり、与えられた命(才能・気質・機会など)を、他者のために繋いでいくことなんです。
これが「親孝行」の本質的な意味です。
この本質を踏まえれば、「帰省する」とか「生活の世話をする」とか「おいしいものを食べに行く」とかは、あくまで「できる範囲でやればいいよ」といったところです。
この種の日常の親孝行が自己目的化して、自分の本来やるべき仕事や役割が遂行できないのであれば、カタチは親孝行であっても、本質的には「親不孝者」となるんです。
順番としては、まずこの肉体を直接生んでもらった両親に対する「感謝の念」があります。
次に、先祖より与えられた命に対する「感謝の念」がある。
さらに先祖を遡っていくと、最終的には「大元」「根源」に至る。
親孝行というのは、哲学的には魂の故郷である「宇宙根源」に、生命を捧げることなんです。
親孝行の哲理は主に儒教から来ているわけですが、こは宗教の根本と一致するわけです。
日本の神道の根本にある「祖先崇拝」は、親孝行ととても相性が良いですね。
こう考えていくと、親孝行は道徳レベルでも大事ですし、道徳を超えた宇宙哲学としてもやはり大事なわけです。
ここにも順番があって、まずは「宇宙根源」へ命を捧げる意志が最初にある。
これがさっき述べた「与えられた命を精一杯に活かすこと」ということですね。
真の親孝行は、日本の一部の宗教が言う「大親様=宇宙大霊」に対する尊崇の念が根底にあります。
その腕、現実的具体的な実践として、目の前の親を大事にするということです。
親との葛藤を抱えるのは、そもそも「魂の性質」が全く違うから
ただ、繰り返しますが、それは親に対して「やさしくする」こととは限らない。
これを強調しないと、やっぱりつまらない道徳になってしまうんですよ。
親子というのは血は繋がっているんですけど、魂としては別個の存在です。
もちろん、現代科学では証明されていないことですが、お互いの「魂の遍歴」はだいぶ違う。
『過去世リーディング』をやっている関係で、「この親子の関係って過去世でも何度もあったんですか?」と聞かれるのですが、そこまで濃厚ではないと思います。
もし生まれ変わっても死に変わっても何度も関係性があったとしたら「阿吽の呼吸でわかり合える」わけですから、親子の葛藤は少ないはず。
けれども、実際は親子の葛藤を多くの人が体験するので、基本的には「わかり合えない」程度の魂の親和性だと思った方がいい(もちろん例外はあります)。
カウンセリングの現場でも、親子関係の悩みはたくさんお聞きします。
自分がいい大人に成長したとしても親子の葛藤がまだまだ残っている人はいるし、人によっては両親ともに亡くなってもまだ葛藤している人もいるぐらいです。
親にしても未熟な人間ですから、中には「毒親」みたいな人もいます。
親孝行の道徳を逆手に取り、子どもに対し「お前は親孝行が足りない」なんて説教するのもいます。
これは依存の一つですね。
そもそも親孝行というのは子の自覚によってなされるものであって、親が子に押しつけるものではありません。
押し付けたところで、子どもは反発してかえってやらなくなるのがオチでしょう。
親も生身の人間ですから、関係性によっては素直に「やさしくする」ことができない場合もある。
そのときは先に述べた通り、「真の親孝行」である「与えられた命を精一杯に活かすこと」が先です。
ついでに言えば、親自身も親とご先祖がいるわけですから、親もまた「与えられた命を精一杯に活かすこと」が先です。
そうやって成熟した親子であれば、理想的な親子関係が形成されると思うんですけど、現実的にはなかなか難しいでしょうね。
お互いに魂の性質が違うし、生まれた時代背景も違うので、自分の価値観と親の価値観が反発することはあります。
私自身もかなり反発した人間で、19歳の時に家出して、住み込みの新聞配達員として働いた時期がありました。
私の出身高は関西では有名な進学校だったので、親はそのまま名のある大学に行くことを期待しました。
もし親の言う通り大学に行っていたら、表向きは「親孝行」だったかもしれません。
けれども、私は「大学に行く意味」が見出せなかったので、進学を強制する親に反発しました。
それは現象的には「親不孝者」だったのでしょうが、魂としては自分の信念を貫く道に進みました。
その道では大きな失敗と挫折が待っていましたが、でもそれが自分の人生の根本を形成したのは間違いない。
だから、私は先ほど述べた「真の親孝行」を、不十分とは言え実践していたわけです。
結果的に、現在の私はおそらく「天命」だろうと思えるこの仕事をさせていただいている。
「親孝行」をして上場企業や官公庁に勤めている同期より、おそらく生命的な幸福を得ていると思います(同窓会では目から生気を感じないヤツもいたので)。
親は「そんなよくわからん不安定な仕事をして……」と、今でも完全に理解してもらってはいません。
霊能者の家系でもあるまいし、まさか息子が「スピリチュアル」を仕事に選んだなんて想像もつかなかったでしょう(笑)
でも、私は「真の親孝行」に向かっていると、別に親に向かって主張は一切しませんが、心のなかでは思っているんです。
さすがに10年ほど「飯が食えている」状態が続くと、関西人の親は「ちゃんと生活できて、人に迷惑かけてないなら、あんたの好きなようにやりなさい」と、ようやくそこまで言ってもらえるようになりました。
親の言う通りに生きることは、決して親孝行とはいえません。
それは単なる「奴隷」ではないでしょうか。
もし私の親が私の天命と思えるであろう役割に対して介入してくるようなら、今の私なら間違いなく親と縁を切ります。
あるいは、その前に私が勘当されているでしょう。
それでも私は、自分が天命と思える道に向かっていくことが「真の親孝行」だと信じて疑いません。
運命を開くには、親・ご先祖があってこそ自分の生命があると深く認識すること
「自分は何を学ぶために、この家族の元に生まれたのか?」という問いを持ち続けることが大事です。
言い換えれば、「何が自分を規定しているのか?」という問いです。
昭和の文芸評論家の福田恆存の言葉に
「親とまともに付き合ってこそ、自分の本当の欲望が見えてくる」
というのがあります。
ここでの「本当の欲望」とは、もちろんエゴ的な欲望ではなく、自分がどのように二度とない人生を生きたいのかという、根源的な欲求のことです。
「親とまともに付き合う」というのは、親(そしてご先祖)との関係性を自分の運命における唯一無二の原点だと認識し、そこからいかなる運命線が "自ずと立ち上がってくる" のかを見つめ続けることでしょう。
それが引いてはこの社会、この日本、この世界を生きる実感(納得のいく関係性)を生んでくれるわけです。
それができるほど「大人」であり、できないほど文字通り「子供」ということになる。
ですから、親に不平不満を持っているうちは、どれだけ歳を食っていても「子供」だということですね。
これは私も当然問われることですが、精神的に成熟している「大人」が少なくなったのは、自分に与えられた運命、とりわけその出発的である両親を受け入れられないからです。
(受け入れられていない人ほど、今回の内容は感情的に反発したくなるかもしれません)
私は現時点でオッサンと呼ばれる年齢ですが、それでも比較的若く見られていました。
それが「あぁ、ようやく歳を取った顔になったな」と思ったのは、「ご先祖」という存在を自分の生命の根源として多少は感じられるようになってきてからです。
その時期の前後の写真を比較すると、明らかに後の方が「老けている」んですよ。
普通は「老ける」のは嫌がられますが、私は逆に「成熟の徴(しるし)」としてうれしかったですね。
だって、本当に歳を取るというのは、いかに自分が多くの恩恵を受けているのかわかることだからです。
ご先祖から親を通じて私に流れている「生命の連続感」を感ずることによって、「自分は自分だけの人生を生きているのではない」ということが自然とわかってくる。
そのとき波動(オーラ)は豊かに拡大していくんですよ。
そうなると、その副産物として運命が整ってくるわけです。
逆に、親との関係性が良くないと、なかなか自分の運命を切り開きにくくなってしまう。
それでも才能があったり、頑張って努力したりすれば、それなりに自己実現できる人もいるでしょう。
けれども、内面的にはどこか不安定で、何かが満たされない感じが「影」のようにつきまとうものです。
過去のカウンセリングでもありましたが、もうそれなりのご年齢になっておられ、社会的にはとても成功されている方がおられました。
それでも「心の底から幸せではない」「本当に笑ったことがない」とおっしゃるんです。
話を詳しく聞いてみると、もう両親は他界されているというのに、子供の頃に受けた「ひどい仕打ち」をいまだに根に持っているご自身がおられる。
その方はちょっとボヤかして言うと「心理の専門家」なんです。
そういう方ですら、そんな葛藤をまだお持ちなわけです。
その方は、しかし親との葛藤があったおかげで早く自立ができ、普通の人よりも大きな社会的成功を手に入れたんです。
もちろんその葛藤によって失ったものもあったかもしれませんが、同時に得たものもあった。
「正負の法則」と言われるように、悪いことと良いことはセットです。
親も、自分も、悪い部分もあれば良い部分もあります。
その両面をかけがえのないものとして受け入れることが、より大人になるための心の修練ですね。
とはいえ、親子関係の葛藤というのは、人によっては本当に一筋縄ではいかない。
それは私も「現場」を体験しているので、普通の人以上にわかっているつもりです。
けれども、今回言いたいことは、おそらく私たちが普通に考える以上に、親との関係性はものすごく人生に影響を与えていることに気づかねばならない。
さっき述べた通り、別に「仲良くしろ」ということではなく、「真の親孝行」を深く考えていただければと思います。
ちなみに、私は『オーラリーディング』っていうメニューをやっています。
ちょっと宣伝になってしまいますけど、『オーラリーディング』ではオーラの色や波長などを観ますが、さらに大事なのは「親への感謝度」「親との調和度」「ご先祖との調和度」を観るということです。
それを直観的に数字、パーセンテージで出します。
これが高いほど、運命は整ってくるし、幸福度も高くなります。
たとえ現象的には不幸でも、そこから幸福を感ずる感性が養われているからです。
それが「自分の命を生かし切る」ということの根本的態度です。
自分の命があるのは、たとえ毒親であっても、両親のおかげ。
この絶対的事実を善悪を超えて受け取る姿勢を保てるのが「大人」ですよ。
もちろん、中には「こんな世界に生まれなきゃ良かった」と言う人もいます。
スピリチュアルにかぶれて「生まれる星を間違えた」なんて言う人も。
けれど、そこで魔法使いが現れて「今からお前に魔法をかけて犬猫にしてやろうか?人間としての苦悩を味わわずに済むぞ」と言われたら、どうしますか?
おそらく、誰もが例外なく断ると思いますよ。
というのも、私たちはこの命は本当に尊いものであることを、無意識の深い部分ではわかってるからではないでしょうか。
それに深く気づくほど、「真の親孝行」は意外と難しくないことがわかるはずです。
ぜひご参考にしてください。
改めて、今回の文字起こしの要点
- 一般的な親孝行(感謝・介護・旅行など)は根本ではなく、与えられた命を活かし切ることこそが真の親孝行。
- 親孝行の「孝」とは先祖から命を受け継ぎ、未来に継承していくこと。親の言いなりになることではない。
- 親の理解が得られず反発しても、天命だと信ずる道に邁進することが、真の意味での親孝行。
- 運命の出発点としての家庭環境を善悪を超えて受け入れるほど、運命は大きく展開してゆく。
なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。
なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。
