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目次
今回の要点と要約文
今回の要点
- 祈りとは願望成就の手段ではなく、自分を超えた崇高な理想と結びつく「生き方そのもの」である。
- 本当の祈りや理想はイメージできない領域にあり、それは意志(ウィル)として未来へ向かう力として働く。
- 魂の成長を本気で求めるなら、祈りに逃げず、現実の世界で成功と挑戦を引き受けて戦う覚悟が必要である。
今回は従来の「自己啓発」や「引き寄せ」と、「真のスピリチュアル」との統合を考えてみました。
まず、現代の宗教やスピリチュアルの大半は「現世利益」を得るための "幸福マニュアル" みたいな内容に堕しています。
そもそも無常である「物質」の中に幸福はないはずなんですが、「信者ビジネス」として「お客様の(エゴの)ニーズ」に応えるため、本質からどんどん外れていくわけです。
一方、「真のスピリチュアル」においては【魂の成長】を最大の価値とし、その実践として "泥臭い社会貢献" に向かう。
その実践を支える原動力を生むのが「祈り」なのですが、ここが一知半解だと、現実から逃避するために宗教やスピリチュアルの知識を利用するわけです。
これは宗教やスピリチュアルの指導者にも問題があるのですが、とにかく祈ってさえいればいい、瞑想しさえすればいい、良い言霊を実践してさえすればいい、と極めて単純化して教えを説く傾向にある。
でも、そういうのは死んで(肉体離脱して)からやればいいことであって、物質世界に生きているのであれば、本来はこの現実に正面から向き合うための教えでなければなりません。
現実逃避のスピリチュアルは、決して波動(オーラ)を良いものにしない。
スピってるフリ、祈っているフリをして、波動がショボい人を何人も見てきました。
たいてい宗教やスピリチュアルに関心を持つ人は「いい人」が多いわけですが、そういう人こそエゴ的な野望をゴリゴリ持っている人以上に、【聖なる野心】を燦然と燃やさなければならない。
この世界は強欲的な野心の持ち主たちが権力を握る構造になっていて、「いい人」であるほど搾取される傾向がある。
世界は格差がさらに拡大しているわけですが、これが良いはずがない。
本当は人柄が良くて、社会に貢献したいという志を持っている人こそ、大きな社会的影響力を持たなければならない。
そのための大きな力を得るために「祈り」があるわけです。
たとえ現実としては悪戦苦闘の連続であっても、心の世界だけは崇高な「見果てぬ夢」を求めなければなりません。
そうでなければ、本当に生きている意味を感じることはできません。
これまで何回かにわたって自己啓発・成功哲学について述べてきました。
これらの基本構造は、エゴイズムの「自己実現」を助長するものです(だから売れる)。
しかし、これを「真のスピリチュアル」から新しく解釈すれば、私たちは魂の成長のためにこそ、この世の成功を本気で求めていくことです。
「愛」だ「光」だ「感謝」だと美しく唱えるのは結構だが、その上で現実と格闘し、物質的な豊かさも獲得してこそ、「リアリズムの霊的実践」だと言えるでしょう。
本当は、目の前の現実の壁を超える力を得るためにこそ、私たちは祈るんです。
それは泥臭いもので、決してキレイゴトではない。
悟りの象徴である「蓮の華」は泥の中から咲くように、私たちは積極的に主体的にこの薄汚れた世界に突っ込んでいかなければならないと思います。
そのための宗教であり、スピリチュアルではないでしょうか。
要点・要約文を読んで、あとは動画でご覧になりたければ以下からどうぞ。
祈りを願望と混同すると魂は成長しない
今回も前回に続き、自己啓発・成功哲学を「真のスピリチュアル」の視点から考えていきます。

ではまずAIで作成したスライドの1枚目ですね。
「祈りの解体と再構築」とAIは書いてくれました。
サブタイトルの「聖なる野心」という言葉は最近の配信でよく使ってますが、今回はこれがキーワードです。


では2枚目と3枚目。
これは前回の復習ですが、祈りには〈お願い型〉と〈断定型〉の2つあると言いました。
この2つは対立する考え方ではなく、統合し融合し、螺旋的に発展・成熟を遂げていきます。
詳しくは前回をチェックしてください。
〈人事を尽くして天命を待つ〉の「人事を尽くす」部分は自力であり、「天命を待つ」部分が他力です。
この矛盾する2つの力を、同時に抱きしめること。
「必ず実現する!」強く信じながらも、「結果は天にゆだねる」という覚悟。
この「信」こそ魂の力に他ならない。
この現実世界は矛盾でできています。
例えば、会社は利益だけを求めれば道義が失われてしまうが、しかし道義に頑なになれば利益は得られない。
愛がなければ人の心は荒んでしまうが、しかし行き過ぎた愛は人の心をかえってダメにしてしまう。
誰しも幸福を願い不幸を避けたがるが、しかし不幸があって初めて感じられる幸福がある。
これらの矛盾を切り捨ててしまうと、人間の生きる力は弱くなってしまう。
ある文学者は「割り切りとは、魂の弱さである」と言いました。
決して割り切ることなく、忍耐強く矛盾を抱え続けることが、魂の鍛錬なんです。

ちょっとずつ本題に入っていきます。
このスライドにある「"半径5メートルの幸福" を求める祈り」とは、
・自分さえ良ければいい
・自分の家族さえ良ければいい
・自分の仕事のポジションさえ良ければいい
などです。
これは決して祈りではなく欲望であり、「小さなエゴによる小さな祈り」であると、ハッキリ断定した方が良い。
伝統・新興を問わず、現代の宗教団体の多くはこの「半径5メートルの幸福」いわば「現世利益」というのを推奨しています。
エゴイズムに犯された現代においては、そう宣伝しないと信者がなかなか集まらないからです。
以前、縁あってあるお坊さんのお話を聞いてきたんですけども、言っていることの大半は現世利益でした。
ガッカリしましたよ。
「いかにして自分が幸せになるか」「こうしたらご利益がある、守られる」ということしか言わない。
数回前の配信で『ダライ・ラマの仏教入門』を解説した時にも言いましたけども、何よりも大切な「布施」や「奉仕」については語らない。
「この坊さん、何やねん・・・(アホなん?)」と思いながら聞いてましたよ。
常日頃から「自分だけの小さな幸福をゲットしようぜ」なんて言っているから、この人の波動(オーラ)もまた小さいわけです。
初対面でまさか「あなたのオーラ、めっちゃ小さいですよ(アホなん?)」なんて言いませんでしたけど(笑)
「半径5メートル以内の小さなエゴ」で生きてりゃ、波動・オーラが小さくなるのは当たり前のことだと思いませんか?
別に難しいことじゃない。
もちろんこれは「真の幸福」ではないのですが、こんな簡単なこともわからなくなっている時代だということです。

次のスライドでは「祈りの構造」について説明しています。
「縦軸の祈り」とは垂直の方向、つまり神仏・宇宙に対する祈りです。
自分を超えた大生命に、小生命である自分をゆだねること。
大生命にゆだねるには強い決心が必要ですから、前々回に述べた通り「他力本願」は決して弱々しいものではなく、むしろ最も強いものなんです。
ですから小さなエゴによる「半径5メートルの祈り」とは、そもそも祈りに値しないことがここでもわかりますんr。
そして、次に「横軸の祈り」とは水平の方向、さっき述べた「布施」や「奉仕」、社会貢献をすること。
これが祈りの具体的・現実的な実践です。
この縦軸と横軸の祈りを十字交差させることが大事です。
縦軸の祈りはよくやっていても横軸としての社会貢献が欠けていれば、山奥で瞑想に明け暮れるヨガの聖者などは例外として、この現代社会においては不調和になります。
親が資産家でもない限り、瞑想ばかりしてまともに働かないと生活に行き詰まるのは目に見えています。
これは後でも言いますが、こういうのは「現実逃避として祈りを利用しているエゴイスト」だとハッキリ言いますよ。
こういう人は、いくら祈っても霊的な成長はありません。
かえって「オレは真理をわかってるぜ」と、めっちゃウザいヤツになります。

次のスライドはなかなかインパクトがありますね。
従来の自己啓発・成功哲学にありがちな「自分の幸せだけを追求する」というエゴは、やはり波動としては小さいわけです。
ただし、生まれつき野心が強い人、大きな欠乏感を抱えている人は、エゴをゴリゴリ燃やせる人もいるわけです。
そういった人は他人を押しのけてでも、手段を選ばず成功を追求していきます。
宗教やスピリチュアルに関心を持つ人はいわゆる「いい人」が多く、そういう人はこんな野心家にはなれません。
しかし、そんな私たちが本当に真剣に祈るなら、本当は野心をゴリゴリ燃やす人間以上に「聖なる野心」を光明燦然と燃やしていかなければならないんです。
「大いなるいのち」にゆだねる祈りを真剣に行ずるなら、私たちは大生命から「大きなエネルギー」を受け取ることができるからです。
己一匹の社会的成功のみを目論む野心家より、「自分は本当に世のため人のために役立てる人間になるのだ!」と、布施や奉仕への情熱が湧き上がってこなければ、〈祈りが足りない〉か〈半径5メートルの祈りをしているエゴイスト〉と思ってください。
この物質世界は「悪の力」が強いですね。
政治や経済の世界を見たらすぐにかりますけども、たいていはエゴの強い人間が権力構造の上部にいます。
現代のグローバリズム社会というのは、ゴリゴリ野心を燃やした一握りの人間が多数の庶民を搾取しているわけです。
日本はまだマシですけども、世界では格差社会がさらに広がっている。
この物質世界のエゴの文化に最適化できる人間は、社会的立場が上になりがちです。
心がキレイで優しい人間は、あまり声を大きく張り上げることができないから、そんな連中の下に組み敷かれてしまう傾向にある。
・・・そんなんじゃ世の中は良くならんわけです。
本当に心がキレイで、世のため人のため真剣に生きたいと願っている素晴らしい人こそ、本当は野心をゴリゴリ燃やす輩よりも、大きなエネルギーを持たなければならないんです。
社会貢献にこそ、不動明王の如く野心をメラメラ燃やさなければならない。
それが「聖なる野心」であり、そのための祈りなんですよ。
小さくまとまっちゃいけませんぜ、ということを今回は言いたいわけです。
本当に崇高な祈りはイメージできない
さて次ですね。
ここからは、ちょっとこれまでと違うことを言いますけども、自己啓発や成功哲学では「イメージする」ということをとても大事にしますよね。
これは何回か前にも言いましたけども、実はイメージができる願望というのは物質レベルのものなんですね。
スピリチュアル系の引き寄せもそうですけども、具体的にイメージができればできるほど、それは三次元世界のものなんです。
逆に言うと、三次元世界を超えたものは物質のレベルではないので、イメージができないんですね。
ここは大事なポイントです。
本当に崇高な願望、そして本当に崇高な祈りというのは、実はイメージができないんです。
なぜならば、これは霊的レベルの話になりますけども、物質の次元を超えているからですね。
次のスライドに行きます。
ちょっと意外なスライドが出てきましたけども、ここで私がヒントにしたのは、実は全然違う文脈の話でして、『歎異抄』なんですね。
これは言わずと知れた浄土真宗の親鸞聖人による書物でして、非常に薄い本ですけども、とても有名な書物です。
この『歎異抄』の第十章に、こんな言葉が書いてあるんですね。
「念仏には無義をもって義とす。不可称、不可説、不可思議のゆえにと。大聖世尊、かくのごとし。」
もう一度言いましょう。
「念仏には無義をもって義とす。不可称、不可説、不可思議のゆえにと。大聖世尊、かくのごとし。」
別の資料をもとに、日本語訳を紹介します。
他力の念仏においては、自力のはからいを交えないことを本義とします。
なぜなら、他力の念仏とは、私たちのはからいを超えたものであり、言葉で説明することも、心で思い計ることもできないからです。
そのように、親鸞聖人はおっしゃっています。
つまり、浄土真宗でいうところの絶対他力というのは、自力のはからいを大きく超えたものなんですね。
これは宇宙であり、神仏の世界と言ってもいいと思いますけども、それは言葉にすることもできなければ、説明することもできなければ、イメージすることもできない。
だからこそ、不可思議なんですね。
だから、念仏をすれば良くなるとか、救われるとか、そういった期待すらも捨てるんだということです。
全部を捨てて、阿弥陀如来に委ねる。
それが本質なんだと、ここで親鸞聖人はおっしゃっているわけです。
この言葉に触れて、私は思ったんですね。
本当の理想、本当の願望、本当の祈りというのは、そうか、イメージができないものなんだと。
次のスライドに行きます。
イメージを超えたもの、それは何だろうかと考えたときに、ここでは英語で書いていますけども、「ウィルパワー」だと思うんですね。
日本語で言うと、意志の力です。
ウィルというのは意志という意味ですけども、同時に未来形の文章を作るときにも使いますよね。
つまり、ウィルというのは未来であると同時に意志でもある。
意志するというのは、未来に想いを向けるということなんですね。
これがウィルパワーです。
これはイマジネーション、つまり想像力ではありません。
だから本当の夢というのは、実は見果てぬ夢なんですね。
見果てぬ夢だからこそ、イメージができない。
しかしそれこそが、不可称不可説不可思議の宇宙根源、絶対他力だということなんです。
今の話、初めて聞いた方も多いんじゃないかと思います。
私自身も、どこかの本に明確に書いてあったものを読んだというよりは、さっきの『歎異抄』の言葉に触れて、自分なりに考えたことです。
ここで具体例を出します。
これは何十回か前にも言いましたけども、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの有名なスピーチ、「アイ・ハブ・ア・ドリーム」です。
これはまさに、さっき言った見果てぬ夢を語っている具体例だと思いますね。
その有名な一節を一部読み上げます。
「私には夢がある。いつの日かこの国が立ち上がり、すべての人間は平等に創られているという真理を、本当の意味で生きるようになるという夢が。」
さらにこう続きます。
「私には夢がある。いつの日かジョージア州の赤い丘の上で、かつての奴隷の子どもたちと奴隷所有者の子どもたちが、兄弟として同じテーブルにつくことができるという夢が。」
これは当時の人種差別の撤廃を誓っているわけですね。
これだけでも相当崇高な祈りです。
ところが、このスピーチの終盤では、さらに抽象度が上がります。
「私には夢がある。すべての谷が高くされ、すべての丘と山が低くされ、でこぼこしたところが平らになり、曲がった道がまっすぐになり、主の栄光が現れ、すべての人がそれを見るという夢が。」
わかりますか。
最初に語っていた差別撤廃よりも、はるかに抽象度が高くなっています。
これは差別をなくすという現実的な意味合いを超えて、キリスト教で言うところの地上天国の実現、つまり神の国の到来を示しているわけですね。
これが見果てぬ夢です。
抽象度が高くなればなるほど、イメージはできなくなる。
これこそが真の祈りだということです。
さらにキング牧師は、こう続けます。
「この信念をもって、私たちは共に働き、共に祈り、共に闘い、共に刑務所に入り、共に自由のために立ち上がることができるのです。」
これは単なるこの世的な目標ではなく、明確な霊的ビジョンなんですね。
どう実現するかはイメージできない。
しかし、それでもなお崇高な願いである。
これが本当の霊的レベルの祈りです。
キング牧師は銃弾に倒れ、この祈りは彼一代で成就したわけではありません。
それでも、その波動は本当に素晴らしい。
真のスピリチュアルに共感するのであれば、本当はこのレベルの祈りを持たなければいけない。
これは私自身も含めての話です。
祈るだけの人が成長できない理由
ただ、こういう話を聞くと、自分には無理だと思う人も多いでしょう。
キング牧師やガンジーのような人だからできるのであって、自分にはできないと感じるかもしれません。
しかしそれは、命を肉体に限定してしまっている制限的な思考です。
前にも言いましたけども、私たちは祈られている存在なんですね。
私たちは宇宙エネルギーの器であり、通り道に過ぎない。
私が祈るのではない。
私たちは祈られているんだということ。
この感覚が自覚できればできるほど、自分でやるわけではないということが分かってきます。
自分という器を通して、宇宙エネルギーを響かせる。
ここに器の図がありますけども、ただ響かせるだけなんですね。
こういった世界に気づけば気づくほど、さっきの「I have a dream」が示している本当の祈りの世界に、少しずつ近づいていけるわけです。
私たちが器であるというのは、楽器のようなものですね。
それが安いボロボロのバイオリンなのか、それとも名器と言われているストラディバリウスのように、美しい旋律を奏でる器なのか。
そのどちらであるかということ。
これこそが、まさに祈りの行にほかならないわけですね。
漫然と祈るだけではいけない。
そして現代の宗教団体が言う祈りというのは、半径五メートルにとどまっていることが大半です。
現世利益を目指す祈り。
それは祈りでも何でもなく、ただの欲望です。
そうではない。
本当はキング牧師のように、自分を超えた崇高な見果てぬ夢を抱く。
そのための祈りなんだということです。
今それができなくてもいい。
少なくとも、それが本質なんだということを、わきまえておかなければいけない。
それが分かっている人と、分かっていない人とでは、まったく違ってきます。
そして、それを自覚したうえでです。
成功とは、成長のための手段なんだと。
これを現実的な実践として、踏まえていく必要があります。
従来の自己啓発や成功哲学も含めたうえで、さらにこういった世界に進んでいくということです。
本当に魂の成長を求めるのであれば、その具体的な方法として、成功をこそ求めなければいけないわけです。
いいですか。
成功を求めるんですよ。
これは、これまであまり言ってこなかったことです。
成長のために成功を求める。
成長のために、あえて物質や地位やお金、そういったものを求めるということです。
このあたりがリアリズムなんですね。
というのも、中途半端に宗教やスピリチュアルを勉強してしまうと、この世の富や成功はあの世には持っていけないから、あまり意味がないよね、という考えに陥りがちです。
スピリチュアル的に言えば、宇宙銀行に預金しましょう、みたいな話ですね。
そうすると、物質的な成功を求めること自体を、一段下に見る傾向が出てきます。
所詮は儚く消えていく地位や名誉を求めて、何になるんだと。
ある程度学んだ人ほど、そう思いたくなる気持ちは分かります。
ところが、その無常や虚しさを分かったうえで、それでもこの世での成功を求めていく。
それは贅沢をするためでもなければ、うまいものを食うためでもない。
魂の成長のために成功を求める。
しかも、野心バリバリの人以上の熱意で求める。
これが、私が考えるリアリズムとしての本当の祈りです。
ここにも書きましたけども、祈るだけの人というのはですね、その祈りも全身全霊で命がけでやるのであればいいんですけども、そうでなければ成長できません。
現実から逃げるために、スピリチュアルを利用しているだけになってしまいます。
前回、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉を出しましたけども、人事を尽くさずに天命を待つだけの人。
つまり、祈るだけの人というのは、戦争の準備だけして戦場に出ないのと同じです。
あるいは、受験勉強で立派な参考書だけを買い揃えて、まったく勉強しないのと同じです。
このきれいごとに流されないこと。
祈りに逃げないこと。
これが大事なんですね。
神様に祈っている自分って偉いでしょ、というような、小さな優等生意識。
私には、そういう感じがしてしまうんですね。
ところが私は、職業柄、人のオーラや波動を見てしまう人間なので、そういう人たちはやっぱりオーラが小さい。
決して大きくはないです。
それだったら、野心をバリバリ燃やして行動している人のほうが、まだ勢いがあって、社会的な影響力もある。
善悪は別にしてですよ。
魂の経験としては、そっちのほうがダイナミックだと思います。
もちろん、野心ゴリゴリで自分さえ良ければいいという生き方がいいとは、まったく思いません。
ただ、魂の躍動という意味では、そちらのほうが動いているように見えるということです。
ここまで、自己啓発や成功哲学についてのシリーズとして話してきましたけども、結論として言いたいのはこれです。
本当に魂の強さを求め、真のスピリチュアルに共感し、魂としての成長を目指すのであれば、現実と戦え。
私も含めて、現実と戦え。
ということですね。
最後のスライドです。
「祈りを抱き、戦場へ」。
単にスピリチュアルだとか、癒しだとか、それだけでは足りないんです。
もちろん、傷ついた心を癒すという意味では、癒しはとても大切です。
ただ、そればかりでは力にならない。
スピリチュアル系や心理系で、インナーチャイルドの癒しと言われますけども、十年二十年と、ずっとそれだけをやっている人もいます。
いつまでやってるんやと。
そろそろ自分の戦場に行かなあかんのちゃうかと、私は思います。
人間は確かに魂の存在ですが、同時にこの肉体を持って、三次元の物質世界に生きています。
だからこそ、地に足をつけて戦っていかなければならない。
一方で、心の目、魂の目は、見果てぬ夢、崇高な理想を掲げている必要があります。
このバランスが崩れると、オーラや波動は重たくなってしまいます。
祈るだけの人もたくさん見てきましたけども、波動は重たいです。
表面的にはきれいなんですけどね。
オーラの奥のほうを見ていくと、不調和がある。
それは決して本当の幸せではありません。
なんとなくやった気になって、なんとなく気持ちよく終わっていく。
私は、それを良いとは思いません。
ここに「人事を尽くして天命を待つ」とAIが書いてくれましたけども、まさにその通りです。
これは決してきれいごとではありません。
私自身もそうですけども、泥くさくやっていくしかない。
蓮の花が泥の中から咲くように、この物質世界の塵や埃をかぶりながら、それでも生きていく。
それが本当の霊的成長だということです。
今回で最後か、次回で最後になりますけども、この成功哲学や自己啓発と、真のスピリチュアル。
この二つを融合させて、さらに高みに向かうための考え方をお話ししてきました。
初めて聞くような話も多くて、分かりにくかったかもしれません。
それでも、何度も聞いて、考え続けていただければ、やがて分かるときが来ると思います。
今回は、エゴから聖なる野心へ。
そして、見果てぬ夢を描こう。
そういう話でした。
ご参考になれば幸いです。
改めて、今回の要点
- 上の文字起こしはまだ編集中です
- ここまでの文章は誤字脱字を含む「ざっくり文字起こし」の段階です
- 1週間以内に完成させます
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なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分があります。
今回も動画と文字起こしは少し内容が変わります。
なので動画(または音声)もご視聴いただけると、より理解が深まるかと思います。
※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。





