- 「引き寄せ本」に良書がないのは、願望達成がテーマである以上、エゴのエネルギーが混入してしまうから。
- 引き寄せのセオリー「ワクワクした感情を抱くこと」を願望達成の手段にすると、純粋さは失われてしまう。
- 引き寄せたいその願望が「天命・使命」に本当に適っていることが第一条件。しかし、それでも思い通りにならないことはある。
目次
「引き寄せの法則」の解説書はファンタジーであふれている
スピリチュアルカウンセラーの林 昭裕です。
人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。
今回は「引き寄せの法則」について考えを述べてみます。
(引き寄せについては思うところがたくさんあるので、今後も何度もブログを書く予定です)
私はスピリチュアルが専門の割に、引き寄せには大して興味を持っていません。
むしろ注意すべきだと思っているぐらいです。
冒頭で述べた通り、私は本の波動(エネルギー)もタイトルや表紙だけで見当がつきます。
その観点から見ると、「引き寄せ本」の中で波動が良いものは、ほとんどないように感じます。
いくら「もっともらしいこと」が書かれていても、アマゾンレビューで高評価がたくさんついていても、本としてはあまり良くないのです。
なので、『スピリチュアル系 本格ブックガイド』というオススメ本を紹介しているページには、「引き寄せ本」は1冊も入れていません。
どうして波動があまり良くないものが大半かというと、テーマが「願望実現」である以上、どうしても「エゴイズム」が混入せざるを得ないからです。
「思い通りのものを引き寄せたい」と欲望が前のめりになっている人たちに、「その願望は叶えられるとは限らないよ」と "本当のこと" を言っても響かないですよね。
ある程度の人生経験を重ねれば、「人生は思い通りにならない」ことは常識だとわかるはずです(欲深い人にはわかりませんが)。
お釈迦さまも、「思い通りのならないことを思い通りにしようとすること」を【苦の根源】だと喝破されておられる。
それなのに「『引き寄せの法則』とやらと実践すれば思い通りになるよ!」と声高に主張するのは、やはり無理がある。
たとえ著者本人は(たまたま運に恵まれて)夢を叶えたとしても、それが他の人々まで同じように当てはまるとは限りません。
同じように引き寄せを実践していても、運良く願望実現できる人と、運悪くできない人に分かれてしまう。
理不尽と言えば理不尽ですが、そもそも人生とはそんなものではなかったでしょうか。
もちろん願望の実現に向かって努力するのは素晴らしいことですが、それが本当に実現するかどうかは、そのときの運も大きく関係しているのです。
そのリアリティから眺めれば、「引き寄せ本」は一種のファンタジーを語っているように思います。
引き寄せがうまくいかないのは「偽物のワクワク」だから
一般的に言われている「引き寄せの法則」の要点を簡単に言ってしまうと
「いつもあなたが抱いている『感情エネルギー』の通りの現象が起こってくる」
ということです。
いつも「うれしい、たのしい、しあわせ」と感じていれば、「うれしい、たのしい、しあわせ」という現象が起こってくる・・・と引き寄せの法則は説く。
なので、
・「いつもワクワクした気持ちを抱こう」
・「イヤなことがあっても『良かったこと探し』をしよう(ノートに書き出すと効果的!)」
・「自分の気分が高まるような環境や状況に身を置こう」
などの実践が推奨されるわけです。
これを「プラス言葉」で実践する方法も、スピリチュアル界隈ではよく知られています。
私は別のブログでこれを批判的に取り上げたことがあります。
どれも人生をより良く生きるには、大切な実践ですよね。
でも、引き寄せを実践して「ワクワクしている」のであれば、別に願望など実現しなくてもいいのでは?(笑)
どんなことがあっても「うれしい・たのしい・しあわせ」な気分であれば、別にそのままでいいのでは?
「そのままの自分でいい」という態度は、スピリチュアルらしい受容的な感じがしますけど?
・・・本音では、思い通りの願望を実現させたいわけですよね?
だから願いが叶えられないのであれば、本当は心の底からワクワクできないわけですよね?
ということは、いま抱いているワクワクは「真実ではない」ということではないでしょうか。
多くの人が引き寄せの実践でつまづくのは、いわば「偽物のワクワク」を抱いてしまうことです。
引き寄せの手段として、「上っ面のワクワク感情」を抱こうとするのです。
けれども、本当のワクワクというのは、その対象に没入し、一体化することでしかない。
それは、子供が無邪気に全力で遊んでいるのを見ればわかるはず。
子供が無邪気に遊んでいるのは、何かを実現するための手段ではありません。
その遊びの対象そのものに、没頭しているのです。
なぜ多くの大人が「偽物のワクワク」を持ってしまうかというと、それが欲望から出ているからですね。
「それそのもの」をただ楽しんでいるのではなく、何かのメリットを得るためにワクワクという感情を利用しているだけ。
それは純粋なワクワクではありません。
多くの引き寄せ願望は「アタマ(マインド)」で考えた欲望であって、「魂(ハート・スピリット)」から湧いてきた純粋な動機はとても少ないのです。
先ほど述べた通り、人生はそもそも思い通りにはならないから、必ずしも夢や願望が実現するとは限らない。
それでも叶えたい願望があるスピ好きな人は引き寄せの法則を実践しようとするわけですが、その方法がエゴを動機にしていることが多いため、かなり野心が強くないと実現は難しくなります。
(野心とは、ここでは「どんな手段を使ってでも絶対に成し遂げるという強い意欲のこと」と定義しておきます)
そもそもスピリチュアルが好きな人というのは、野心をゴリゴリ持てない「やさしいタイプ」が多い。
しかしエゴは中途半端に持っているため、ついつい「上っ面のワクワク感情」を抱きがちです。
ここまで読めばお察しかと思いますが、本当に心からワクワクするのは、決して簡単ではないのです。
なぜなら、本当にワクワクするためには、自己固有の魂の価値、つまり天命や使命を深く知らなければならないからです。
子供は無邪気だからシンプルでいいですが、大人は深い知性が求められます。
そこで、自己啓発やスピ系セミナーに出てきそうな願望、例えば
・「●●歳までに年収〇〇万円以上を達成し、湘南の海近くに住んで休日はサーフィンしたい」
・「●●歳までに年収○○万円以上のパートナーと結婚し、自分はセラピストとして自由な生き方がしたい」
・「○○のビジネスで起業し、20●●年までに年商××億を達成し、海外にまで展開させたい」
といった願望が、本当に心の底から湧いていて「これは自分の天命だ!」と強く思えるものであればいいのですが、上記のようなパターンの大半は欲望でしょう。
だいたい「お金」が主役として、あるいは達成を測るモノサシとして出ている時点で、欲望だと思っていい。
私は欲望を決して悪いものではないと思っていますが、少なくともそれを「純粋なワクワク」だとカン違いするのはやめた方がいいでしょうね。
聖書にこんな文言があります。
わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。(ヨハネの第一の手紙 5:14)
「神の御旨に従って」というのは、言い換えれば「天命に適っていること」です。
その態度で「願い求める」のなら、「神はそれを聞きいれて下さるということ」です。
「引き寄せの法則」が発動する根本条件は、聖書の時代よりも以前から「神の御旨に従うこと」または「天命に適うこと」によって「心の底からワクワクすること」なのです。
しかし、それでもなお、本当に引き寄せられるとは限りません。
厳しいかもしれませんが、「神の御旨に従う」とは、夢が破れる可能性まで含まれているのです。
このことを知った上で「引き寄せ本」を読んでみると、いかに書かれてあることが浅いか、よくわかりますよ。
まぁ、浅く書かないと売れないのでしょうけど・・・
- 「引き寄せ本」に良書がないのは、願望達成がテーマである以上、エゴのエネルギーが混入してしまうから。
- 引き寄せのセオリー「ワクワクした感情を抱くこと」を願望達成の手段にすると、純粋さは失われてしまう。
- 引き寄せたいその願望が「天命・使命」に本当に適っていることが第一条件。しかし、それでも思い通りにならないことはある。