お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。
人やモノの波動(オーラ)がわかる特殊能力をベースに活動しており、ここでは【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。
今回は
「そもそも祈りとは何か? 入門編」
について述べていきます。
※「入門」というタイトルをつけているものの、実際の中身は「原理原則」です。
来月10月22日、『世界平和の祈り』の真髄を知り、世の光となることを願い続ける生き方を深めよう」というセミナーを開催いたします。
それを記念して、今回から数回になるかもしれませんが、「祈りの入門から基礎まで」を述べてみたいと思います。
「祈り」はスピリチュアル的な生き方において、いや、人間として生きるにおいて、とても大事な行いです。
なので、無料公開のこのブログや音声配信でも、ある程度まで説明することのが自分の「天命」だと感じています。
上の有料セミナーでは私なりの深いレベルで話すつもりですが、このブログや音声配信の入門~基礎レベルだけでもご参考になればうれしいです。
世の中にはいろんな祈りがありますけれど、今回セミナーのテーマにする『世界平和の祈り』はとても波動が良く、内容がわかりやすく、そして宗教的な偏りが少ないので、以前から一貫してオススメしています。
追記
今回のブログは少し難しい内容を含んでいます。それを受けて補足した以下のブログを読んでいただいてから目を通した方が理解しやすいと思います。
目次
祈りは現世利益のみの願望を求めることではない
まず『世界平和の祈り』の概要(といってもほんの触りの部分)については、以下の音声配信をお聴きいただけますでしょうか。
意外なことに、私の(現時点では弱小の)「YouTubeチャンネル」において、これが最も再生されているんです。
それだけまだ数少ない私のフォロワーさんは、本質的な何かを求めているということでしょう。
まさしく「マジスピ」(真のスピリチュアル)の名の通りですね。
これから祈りについて説明していきますけど、最初に断っておくと、
「祈り」は金運アップや恋愛運アップ、病気の回復などを求める「現世利益」のみを目的としない
ということを、徹底的に理解しましょう。
これは「真のスピリチュアル」を求めている方にとっては、あえて何も言わなくてもご理解いただいているとは思うのですが、念のため述べておきますね。
もちろん「現世利益を求めるな」と言いたいのではないんですよ。
私もお金がたくさん入ったらうれしいですし(笑)
ただ、現世利益というのは、あくまで "結果的に" 与えられるもの。
祈りを深めていくことによって、期せずして現世利益的なものに恵まれることはあるでしょう。
でも現世利益のみを目的にすると、本質から外れてしまうことが懸念されます。
聖書の有名な一節に、
というのがあります。
この一節はキリスト教系の自己啓発業界が大好きな言葉で、必ず引用されます。
中でも成長志向の高いアメリカ人が好みそうですね(現在はアメリカ人も草食化が進んでいると聞きますが)。
祈り求めることは、何でも叶うのだ!
だから、自分の願望を神に強く祈るのだ!
さすれば、その願いは必ずや叶うのである!
・・・というロジック、あなたはどう感じますか?
言うまでもなく、非常にポジティブな感じがしますね。
「人生は自分の力で切り拓いていけるのだ」と、文字通り古き良きアメリカのフロンティア・スピリットにあふれている印象があります。
これはこれで、ネガティブよりは全然いいんですけど、私はちょっと心配してしまいます。
どうしてかというと、
その願望は本当に「神」が望んでいることなのだろうか?
という疑問が拭えないからです。
このロジックを都合よく解釈してしまうと、祈りがまるで
「人間のわがままな願いでも、すべて叶えてくれる方法」
というように捉えられてしまうんですよ。
古今東西の物語、アニメ、映画などにおいて、「どんな願いでも叶えてくれる魔法や秘法」をめぐる争いを描くものは枚挙に暇がありません。
先日、ドラゴンボールの映画の最新作を観に行きました。
※以下は趣味のサブブログ
ドラゴンボールもまた「どんな願いでも叶えられる魔法の玉」をめぐるバトル漫画ですよね。
今回の映画でもドラゴンボールは使われていました。
このドラゴンボールを「悪人によって殺された無実の人々を生き返らせる」と善用することもできれば、「極悪人が不老不死を得る」とか「強いパワーを持つ孫悟空と肉体を交換する(その後、孫悟空は殺される:ドラゴンボール超『未来トランクス編』より)」とか悪用することもできるわけです。
もし「神」が「至善至高」の人格的な存在であるなら、そうやって悪用することは本当に神の望むところなのでしょうか?
いや、「殺された無実の人々を生き返らせる」という善による願いの成就ですら、それは本当に神の望むところなのでしょうか?
「無実の人々が殺される」ということすら、宇宙の生成発展における一コマなのだとしたら、その人々を蘇らせるというのは博愛的なように感じられますが、果たしてそれは本当に神の望むところなのでしょうか?
・・・という問いは、祈りにおいて常に考えなければなりません。
祈りは「神なるもの」との霊的な交流のためになされるもの
そもそも
ということを知っておくことです。
つまり、祈りとは人間の側から「この願いを叶えたい!」とか「この祈りを聞いてほしい!」とか一方的に願う行いではなく、先ほど述べたようにそれが「神の御心(みこころ)」や「天の意志」に寄り添っているものかどうかを省みるところまでを含んでいるわけです。
人間のわがまま勝手な願いを、半ば強引でも構わないから神様を説得させるためのプレゼンテーションのテクニックが祈りなのではありません。
キリスト教系の自己啓発や、また「引き寄せの法則」系において注意すべき点は、ここにあります。
(そもそも「引き寄せの法則(という名の仮説・俗説)」は、欧米発の自己啓発や願望実現がその源流にあることを知っておきましょう)
「神なるもの」は、私たち人間界の言葉を発しません。
それは「声なき声」、いつも言っている「波動」として、絶えず私たちに語りかけています。
その「声なき声」に心の耳を傾け、神の御心や天の意志を仰ぎ見る営みが、祈りなんです。
となると、「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じ」るのは結構なことですが、一方でそれは神仏が喜ぶものなのかどうかも顧みなければならないわけです。
その内省が欠けた祈りは、祈りとは言いません。
正確に言えば、野心や野望というものです。
とはいえ、必ずしも野心や野望が悪いわけではありません。
というのも野心や野望というのは、ある意味では人間の「生命力」のバロメーターだからです。
人生において多少の野心や野望を持たない人間は、確かにマジメで大人しいのかもしれませんが、何かを創造したり世の中を動かしたりするエネルギーには欠けがちだからです(もちろんそういう人も世の中には必要ですが)。
先日お亡くなりになった京セラ創業者にして「経営の神様」と言われた稲盛和夫さんは、言うまでもなく偉大なる経営者であり、彼が創造した事業や世界に与えた恩恵は計り知れないものがあります。
そんな稲森さんはスピリチュアルな世界にも関心が深く、大ベストセラーである『生き方』には「死後の世界」や「輪廻転生」にまで触れておられます。
65歳ごろには仏門に入り修行されるほどの宗教心をお持ちだった稲森さんは、欲の少ない人間だったのでしょうか。
・・・いや、当然そんなことはないですよね。
だって、あれだけの功績を残された方が、野心や野望などほとんど持ち合わせていなかったと言えば、大ウソも大ウソでしょう。
私は稲盛さんの波動(オーラ)をずっと以前からときおり拝見していましたが、そりゃもうスゴいエネルギーですよ。
確かご著書の中に「燃える闘魂」という表現をされていたかと記憶していますが、まさにその通り。
(いま検索したら『燃える闘魂』というズバリそのままのタイトルの本が見つかりました)
誤解を怖れずに言えば「大きな欲望のかたまり」だったわけです。
ただ、彼が優れているのは、その「燃える闘魂」や「大きな欲望」を個人的な野心や野望ではなく、「世のため人のため」という祈りに"エネルギー転換"していかれた。
稲盛さんは新規事業を興される際、こんな自問自答をされていたようです。
「動機善なりや? 私心なかりしか?」
この事業を興すのは世の中に善をもたらすだろうか?
そして、そこに自分の野心や野望、エゴはないだろうか?
これを繰り返し繰り返し自問自答し、「よし、この想いは私心はない!」と確信できたものを、新規事業として立ち上げ、そして成功されていったわけです。
あぁ、まさに稲森さんは「経営者の姿をした宗教家」であられた。
個人的なことですが、稲盛さんや、また昭和の「経営の神様」と言われた松下幸之助さんは私が最も尊敬する方々で、10代の頃から彼らの本を読んでいたものです。
松下幸之助さんもまた宗教心の深い方でして、「祈り」を経営の世界において具現化された方といえます。
ともかく、祈りというのは単なる願望実現のテクニックではなく、深い自問自答を伴うものであることを知っておいてください。
祈りは深い自己探求と自己浄化のために行うもの
なぜ祈りに深い自問自答が必要かと言えば、それによって「内なる神」に触れるからです。
そして、「内なる神」に触れることを通じて、宇宙を統べる「大いなる神」に触れることになるからです。
これを踏まえたとき、「祈りというのは深い自己探求も含んでいる」ことがわかります。
心の中が雑念や妄念でモヤモヤしまくっているのに、「内なる神」に触れることは難しいですよね。
雑念にまみれるのは私たち凡俗の日常であること、これはあなたもよくお分かりでしょう(笑)
いや、もちろん私もエラそうなブログを書きながらも、また人様のご相談に乗ることが仕事でありながらも、まだまだ大量の雑念を手放せないでいます。
でも、そんな雑念を抱えた状態から、たとえひとときでも内側の静かな世界に沈潜するために、祈りという営みがあります。
神なるものの「声なき声」は、心に静けさがあるとき、語りかけてくる。
それを可能にする営みが祈りなんですよ。
もちろん、一回や二回祈ったら瞬く間に雑念妄念が晴れる・・・なんてことはありませんけど、祈りを習慣にすることで、その静かな時間は少しずつ深くなっていきます。
まぁ、「オレもちょっとはできるようになってきたかな!」と油断しているとまた逆戻りすることも少なくないので、決して一直線的に深まるとは限りませんが、それでも続けることで「内なる静けさ」を味わう時間が増えていきます。
ここまでをまとめますと、
・祈りというのは、単なる願望実現のテクニックではなく、「それは神仏天の望みであるかどうか」を内省することまで含まれる
・祈りというのは、心の中の雑念や妄念を手放すために行うものであり、その中において内省の力は深まっていく
・内省の力が深まることによって、内的世界はよりクリアになり、それに伴い叶えたい祈りの純度はより高まっていく
・より純化された心による祈りでもって、「神なるもの」との交流をより深めていく
という、ポジティブな循環を生み出すことが、祈りの理想でしょうね(現実はなかなかそう順調に深まらない時期もありますが・・・)。
まだまだ細やかなことはありますけど、とりあえず今回は「祈りとは何か?」というテーマで入門的なことを語ってみました。
ご参考になれば幸いです。
追記
今回のブログは少し難しい内容を含んでいます。それを受けて補足した以下のブログを読んでいただいてから目を通した方が理解しやすいと思います。
※より詳しい話は今度のセミナーで行いますので、ご興味あれば以下の案内ページを見てみてくださいね。
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