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第313回:サイキック(霊能)とスピリチュアル(霊性)を混同すると、迷妄に陥る。

※ウェブサイト『マジスピ』には音声の文字起こし(読みやすく加筆修正済)があります。

■今回は以下のブログを違う角度から語り直しました(https://prism-life.com/psychics_are_not_spiritual/

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ここから下はまだ編集中です。まだ「ざっくり文字起こし」の段階です。

スピリチュアルとサイキック──混同されがちな違いとは?

今回の文字起こしの要点

  • スピリチュアルとサイキックは本来まったく異なる概念であり、混同すべきではない。
  • サイキックとは「霊能」であり、視える・聞こえるといった芸能的な能力を指す。
  • 真のスピリチュアルとは、魂の探求や精神性・人間性を高めていく態度・在り方である。
  • 現代のスピリチュアル業界の多くは、実質的にサイキック寄りであり、慎重な見極めが必要。

今回はですね、サイキックとスピリチュアルの違いについて話をします。

タイトルは、「チャネリングやオーラリーディングなどの霊能力、これはサイキックであって、スピリチュアルではない」──似て非なるものだという話をしていきます。

個人的には、今回の話はすごい前からしたかった話です。

これはご関心があるかどうかちょっとわかりませんが、非常に個人的には大事なこととして考えている内容です。

というわけで、サイキックとスピリチュアルの違いについて述べていきますが、

簡単に最初に言っておきますと、

このチャネリングとかオーラリーディングとか、そして私のメニューでいけば、過去世リーディングですね。

今YouTubeでは画面映っていると思いますけども、過去世リーディングとか、あるいはこの守護霊リーディングですね。

私のメニューの中の1つですけども、これらは厳密にはサイキックですね、サイキックです。

サイキックっていうのは、これは──

サイコロジーというのは心理学のことをサイコロジーといいますね。

この「サイキ」というこの部分ですね。

日本語であえていえば「霊能」です。

霊能者の「霊能」、これはサイキックです。

そしてスピリチュアルというのは、これは──

辞書的な意味では「精神」ですね。

精神性のことをスピリチュアル、あるいはスピリチュアリティなんて言います。

あるいは「霊性」ですね。

霊能と霊性とは、全く違います。

そしてスピリチュアル業界では往々にして、これがごっちゃになっているということですね。

ですから私も、「スピリチュアルカウンセラー」という言葉を、しっかりと定義に基づいて話をしています。

例えば、過去世リーディング、オーラリーディング、守護霊リーディングだと──ちゃんと厳密にいえば、これはサイキックカウンセリングですね。

サイキックです、これらは。

あるいはスピリチュアルカウンセラーじゃなくて、「サイキックカウンセラー」というのが、本来は正確な呼び名です。

ではなぜ私がスピリチュアルカウンセラーと言っているかというと──

スピリチュアルというのは、さっき言いましたように、「精神性」とか「霊性」ということですね。

つまり、心の根源、この命の根源というのを見つめていく。

あるいは五感ではわからない世界、自分たちの肉体の感覚を超えた世界。

それを宗教的には「神」「仏」の世界ですね。

スピリチュアル業界だと「大宇宙」なんて言ったりもしますけれども、そういったものを探求するのがスピリチュアルであると。

ですから、自戒を込めて言いますけども──

サイキックが優れているからといって、スピリチュアル──精神性や霊性が高い、あるいは深いとは全く限らないということですね。

これは非常に注意点です。

何か、普通の人ではわからないものが見えたり、聞こえたりする。

これは一種の曲芸ですね。曲芸師です。

手品みたいなものです。

──と言うと、手品師の方に怒られるかもしれませんけども、一種の特技です。

ただ、そういった何らかの芸能を発揮することが、人格的に、人間として立派であり優れているとは限らないということですね。

最近も芸能界では、いろんなスキャンダルがありますけども、芸達者ではあっても、人間として本当に信頼、尊敬が置けるかというと、また別です。

しかし、一芸に秀でることによって、それが仕事になっているということですね。

ですから、サイキックが優れているというのは、一芸に秀でているということであり、やり方によっては──私もその端くれですが──仕事になっているということです。

ところが、特にサイキックを一芸としてやっている人──これ私もそうですけども──それはスピリチュアルではないんだと。

それははっきりと自覚する必要がある。

たとえば、今映しているこのブログにも書いていますが、これは過去に実際にあったご相談です。

ある人からの相談で、その方の近しい方が亡くなったということがあった。

そして、そうやって意気消沈して落ち込んでいるときに、ある人が「竜神のメッセージだ」と言ってきた。

「いつか悲しみは終わるの」

「これは試練なのよ」

「絶対大丈夫。心の闇はそのうち晴れるから。だから、もう落ち込まないで」

──という、この「竜神とやら」のメッセージですね。

それを言われたと。

それで、その方は非常にもやもやしていると。

これは実際のご相談でした。

たとえそれが、よかれと思ってしたメッセージだとしても、聞いてないんですよ。

「聞いてへんわ」と。

これ、関西ではね、非常に嫌われます。

私も関西出身なので、子供のときからこういう場面がありました。

「それ、聞いてへんし」と。

ちょっと地方によって温度差あるかもしれませんが、特に関西では嫌われるんですよね。

聞いてへんことを言うなと。

知ったかぶり──これも「知ったか」と関西弁で言われますけど、だいぶ嫌われるやつなんですよ、これ。

ましてや、近しい人が亡くなって落ち込んでるときに、安易にアドバイスをする。

「竜神のメッセージ」などと言って、証明不可能な、反論しにくいものを──身勝手に言ってしまう。無神経に。

で、どうですかと。

私、いつも言ってますね。

「お名前だけでわかります」と。

こういったご相談、よくあるんですよ。

で、私も「お名前だけで人の波動を見る」というのは、これはサイキックですね。

オーラリーディングですよ。

さっきもここに示しましたけども、オーラリーディング、これはサイキックです。

で、これは求められているから、そのサイキック能力を使って、アドバイスを差し上げる。

で、案の定ですけども、その「竜神のメッセージ」とか言ってきた人。

そのオーラは重たいわけですよ。

わかりますよね。

そのオーラを観察していると、自己顕示欲。

その裏返しとしての劣等感。

というのも伝わってくる。

表向きは「アドバイスをしている」んですよ。

「視える力」が人格を保証するわけではない

けど、その裏側にある思いは、「私ってすごいでしょ」「もっと褒めて」という。

非常に子供じみた、精神的に幼稚なパーソナリティですよ。

こういったのが、サイキックだけで言ってしまう。

しかも、勘違いです。

そんな力もないくせに、竜神とか言って──しょうもないことを言う。

よくありますでしょ、これ。

こういったご相談、何度も受けてきたからです。

だから、百歩譲ってその能力が例えあるとしても、それはサイキックであって、スピリチュアルではない。

本当に人間性、精神性、霊性。

要は「人として立派な人格である」と、尊敬されるということです。

だからこれは、前もどこかで言ったかもしれませんが、「人格」ではなく「霊格」というわけです。

霊能はあっても、霊格が欠けているということは、ざらにあります。

だから、自戒を込めて言いますが──

サイキックがある、そういった能力があるからといって、偉そうにするなと。

その「竜神のメッセージ」とやらを寄せた方はね、そんな高次元の存在はリーディングできるらしいのにね。

──たっこ、自称ですよ。

けれども、目の前の人の気持ちはわからないのかと。

そういう言葉を言って、余計に傷つける。

それがなぜわからないか。

ですから、人間的に未熟である。

子供におもちゃを与えたようなものだと。

まあ、そういうね、精神的に幼稚な風になってしまいがちなんです。

スピリチュアルというのは本来──ここにも書いていますが──

生命の根源、魂。

人間が人間である、その「言われ(理由)」。

それを問い、考え、深め、求めていく、その態度のことです。

他のある専門家の方はね、スピリチュアルというのは「形ではない」とおっしゃってますね。

これはブログには書いてないんですけども。

「形ではなくて、状態である」と。

これは英語圏の方なんでね、英語で言うと「ステイト(state)」ですね。

United Statesの「ステイト」。

つまり日本語では「状態」。

私は「態度」とブログには書きましたが、まあ同じですね。

状態であり、態度であり、そして「あり方」ということですね。

ですからね、サイキックが優れている。

芸能ですね、霊の芸能。

ある種の芸能です。

だからといって、本当に──

人生の不条理や苦悩に打ちひしがれる、そういう方の力にはなれないということです。

サイキックだけでは。

だからいろいろ、このスピリチュアルビジネスのトラブル。

ネットでもそういう記事がいくつもありますけども、そういったトラブルですね。

それはサイキックだけで、あるいは“なんちゃってサイキック”もありますよ。

そうやって本当に人間としての人格や精神性まで見据えていない、うわっつらのスピリチュアル。

エンタメです。

いつも冒頭で言ってる「お花畑」。

それは本当ではない。

真摯に──さっきも神とか仏とか言いましたけども──それを求めていく、その「ステート(state)」。

状態なんですね。

ですから、このスピリチュアルといわれている業界というのが、信用できるかどうかというのは、なかなか、思っている以上に難しいんですよ。

これは私自身も問われることですけどね。

見た目からすれば、非常に良いことをやっているようで。

実際は波動を見ると、重たかったりもするし。

厄介なのは──これはよく「まんじゅう」とか「たまご」の例でたとえるんですけども──

表向きの皮とか、白身の部分はきれいでも、中身のあんこの部分や黄身ね。

そこが非常に重たい場合も、これは決して少なくはないんですね。

ですから、本当に見極めは難しいんですけども、少なくともここでは──

そういった、なんか見えるとか聞こえるとか、それだけで信じたらダメです。

それだけで信用しちゃダメです。

本当にその人が文章とかを書いているのであれば、その行間を読み。

そして私みたいに、こうしてしゃべっている人間であれば、その言葉。

それこそ言霊と言ってもいいですね。

それを本当に集中して、真剣に見極めなければならないですね。

サイキックのトレーニングをするセミナーってあるんですよ。

これはこのブログには書いてないんですけども。

「あなたもスピリチュアルを仕事にできるように」と。

こういった講座っていうのは、今でもあります。

私もね、お金を払って──けっこう安くない金額を払ってですね──潜入調査をしたことがありますね。

オーラを見る方法とかね。

どうやって教えるの? そういうのって。

それが疑問でね。

私は別に、誰からも教わっていないですよ。

師匠と一緒の空気を吸っていれば、だんだんできただけで、自然にね。

「どうやって教えるのかな」と思って。

そういった講座に、潜入調査として、お金払って行ったんです。

そしたら、いろいろあるんですけど、

「こうやったら見えるようになる」的なね。

けどね、そういったことは、なかなか──

才能がないと、やっても難しいと思いますね。

あのレジェンドの江原啓之さんもね、

「どうやったらスピリチュアルな仕事ができますか?」って言われてもね。

あの方も同じことをおっしゃってますね。

「自分はもう、気がついたら──それこそ運命に導かれて──こういった仕事をしていた」

スピリチュアルカウンセラーの端くれでね。

いや、スピリチュアルカウンセラーのパイオニアですよね。

「気がついたらやってたんだよ」と。

そういった能力を鍛えるっていうのは、よっぽど素質がないと難しいです。

けど、「魔法使いになりたい」んですよね。

なぜ「不思議な力」に惹かれてしまうのか?

「人より特別な自分でありたい」

「他の人とは違うのよ、私は」みたいな。

これは、そこにあるのは劣等感ですよね。

あるいは、自分に価値がないという感覚。

価値を感じられない。

「無価値観」と言ってもいいですね。

最近の言葉で言えば、「自己肯定感が持てない」というやつです。

これ、みんなね、サイキック次元の話なんですよ。

だから、「スピリチュアル能力のトレーニング講座」とか言いながら、やってることは全部サイキックですから。

それをスピリチュアルとごっちゃにしてる。

これを本当は、厳密に分けたほうがいいんですよ。

だから、こうやって私も、自戒を込めてお伝えしているわけですよね。

「なんか、そんなに不思議ですかね?」

「不思議な世界がいいんですか?」

「自分もオーラが見たい」とか、「守護霊の声を聞きたい」とか、「過去世を見たい」とか。

なんでと?

「もっと普通でいいやんけ」と思いますけどね。

私は自分の運命で、たまたまやってるだけです。

たまたまね。

で、最も大事なのは、スピリチュアルということです。

だから「スピリチュアルカウンセリング」というのは──

これはちょっと細かい話ですけど──サイキックを使わなくていいんですよ。

オーラを見たり、過去世を見たり、守護霊を見たり。

そんなことをしなくてもいいんです。

スピリチュアルカウンセリングというのは。

本当にその、お客様、クライアントさんの「魂の探求」ですね。

それができるカウンセリング。

その機会を提供できるのであれば──

たとえサイキックを使わなくても、それは立派なスピリチュアルカウンセリングです。

けど、普通はそうじゃないでしょ?

なんかオーラを見るとか、タロットを使うとか、占いをするとか。

それがスピリチュアルと言われますね。

けど、厳密に言えば、占いはスピリチュアルとは限りません。

サイキックでもないかもしれません。

あれは占いですよ。

サイキックでもないです。

だってカードを並べて引いてるわけでしょ?

それはツールです。

けど、もしそのツールで──

ツールでしかないタロットやオラクルカードなどを使って、お相手の方の本当の自己探求、魂の探求のお手伝いができるのであれば、それはスピリチュアルカウンセリングです。

そして、普通の、スタンダードな──たとえば臨床心理士。

あるいは最近出てきた公認心理師ですね。

別にスピリチュアル、厳密に言えばサイキックの能力はないとしても、本当に深いカウンセリングができるのであれば、その方はスピリチュアルカウンセラーです。

まあ、もっとも、「スピリチュアル」という言葉が、偏見や誤解をまだまだ生むので、言われたくはないでしょうけど。

私が学んでいる先生もね。

私は実は、サイキックよりもはるかに通常のカウンセリングを学んでいるわけですけども、尊敬しているカウンセリングの先生方。

本人はそうおっしゃらないけど、私から見たらスピリチュアルです。

クライアントの、お相手の悲しみや苦しみ。

そういったものに本当に深く寄り添うことのできる、その魂の力ですね。

これこそが、真のスピリチュアルです。

人間は、魂としての存在です。

その魂は、この地上の世界において、いろんな苦悩を味わうわけですよね。

苦悩を味わう人は、孤独ですよ。

誰にも理解してもらえない。

いや、それどころか、蔑まれ、罵詈雑言を浴びせかけられる。

そうやって、たとえば占いに行ったりしたときに──

その占い師に、

「それはあなたの前世のカルマなのよ」

「あなたの因縁が悪いのよ」

なんて心ない言葉を浴びせかけられ、傷口に塩を塗り込められるような。

こんなのは、スピリチュアルじゃないですよ。

サイキックですらない。

それどころか、サイキックですらない。

単なる説教じゃないですか。

こんな人が本当に、高い波動、そして高級な人格、霊格を備えていると思いますか?

全くスピリチュアルではないんです。

ですから、私は今でもカウンセリングの勉強をしていますけども、これはもう果てしないんですね。

ずっと学び続ける必要があるし、こうやってここで喋っていること自体も、喋りながら自分が勉強しているわけですね。

あとでこれ、振り返るわけですから。

言葉、音声を聞いて、さらに文字越しで。

最近では編集もするわけですから。

だから、そういった派手な、かっこ付きのスピリチュアル──厳密にはサイキック。

「後ろにアマテラスがついている」とか、「空海や道元がついている」とか、「なんか知らんけども、ミカエルやガブリエルがついている」とか。

それはサイキックです。

全くスピリチュアルではないです。

全くスピリチュアルではないです。

そこに力は宿らないです。

ただ、生まれつきそのサイキック的な能力が豊富で、それで仕事になっているという人はいると思います。

あるいは個性が強い。

テレビに出ている占い師を見たらわかりますよね。

みんな個性強いですよ。

あとは、強烈なエネルギーがある。

顔を見たらわかりますよ。

前もね、あるお客様から、「最近この人に見てもらって」という、ある有名な占い師の話を聞きましたけど。

もう見た感じ、気が強い。

そういった強烈な個性でやっている人はいるんだけど。

それで仕事になって売れているからといって、波動が高いとは限らない。

本当にスピリチュアルが深いかどうかは、限らないんです。

そういった見た目の派手さに引きつけられてね、「私もあれになりたい」とか、「私も魔法使いになりたい」とか。

まあ、そういうことは思わないことですね。

このマジスピラジオの初期の動画で、当時はまだ顔出しをやってましたけど、「守護霊の声を聞きたい人へ」という、そういった動画を出したことがだいぶ前にありました。

けっこう、それ見られてるんですよ。

だから、やっぱり関心あるんでしょうね。

「自分もワンチャン、守護霊の声を聞けたらいいな」なんてね。

「サイキック能力を身につけたいな」と思っている人もいるんでしょうけど──

まあ、やめたほうがいいですね。

本当にそれが自分の道であればね、さっきの江原さんの言葉も紹介しましたけども、自然に運命が導きます。

私も、そうでした。

まさか──

あっ、そうそう、言うのを忘れてましたが、この4月に入って、11年目になりましたよ。

やっと、おかげさまで、本当に支えていただいて、11年目を迎えました。

けど別に、このサイキックは自分で得ようと思って得たわけではないです。

まあ、良い子は真似をしてはいけませんと。

自分は自分になるしかない。

自分ではない特別な何かになろうとする。

それこそが病である。

いいんだよ、別に。

龍神とかアマテラスとか、いいんだ、それは。

本当に、人に喜ばれる。

最近ご紹介しているシルバーバーチも、口を酸っぱくしておっしゃっているけれども、「人に喜ばれるということ」。

これが、真のスピリチュアルです。

そして、「人に喜ばれる」と思うならば、やっぱり修練、努力が要りますよね。

真のスピリチュアルとは「人に喜ばれる存在になること」

それがスピリチュアルですよ。

これはサイキックではないです。

これがスピリチュアルです。

特にこの業界はね、ちょっと浮いたところも少なくありませんので。

たとえば、「ライトワーカー」なんて言葉もありますわね。

ライトワーカー。

そうやって、「魂を覚醒させて、ライトワーカーとしてこの地球を浄化しよう」みたいな。

そういったコミュニティを、ちょっと覗いたことあるんですけど──

波動、重たいですよ。

もちろん、場所によってはいいところもあるかもしれませんけど、自分が見た中では重たかったですね。

まあ、自己陶酔ですね。

「自分は地球を浄化するんだ」って。

いやいや、まずテメェだろうと。

まずテメェを浄化しやがれと。

こういった話をすると、口が悪くなるんでね、ついついこういったことを言ってしまうんですが──

まずはテメェだろうと。

これがスピリチュアルですよ。

なんちゃってスピリチュアルじゃないんです。

スピリチュアルごっこは、もういいんです。

道徳的で、臭いかもしれませんけども、「人に喜ばれる」ということ。

これ、小林正観──

小林正観さんだって、ずっとおっしゃってますでしょ?

あの方、レジェンドですよ。

もうお亡くなりになりましたけども。

「喜ばれる存在になる」と。

あれ、スピリチュアルですよね。

ところが、面白いことに──

そうやって本当にスピリチュアルを志してね、「喜ばれる人間になろう」と思って努力をしていると、別にオーラが見えたり、過去世が見えたりはしないけど、直感力。

物事の真贋を見極める力がついてきますよ、それは。

ほら、職人とかもそうじゃないですか。

ちゃんと修練を積んだ職人とかね。

あるいは、すごい誠実な経営者とか。

経営者なんて人を見る目がなかったらできないですからね。

採用とかね。

ベテランはこれ、見に行くわけでしょ、人を。

これ、スピリチュアルですよ。

直感力っていうのは。

「インスピレーション」って言うじゃないですか。

インスピレーション。

「インスピリット」ですからね。

直感っていうのは、スピリットですよ。

インスピリット。

だから、サイキックは別に必須ではない。

いいんです、別に。

「自分もオーラが見たい」とか。

いいんです、それは。

見える人間が言うんだからね。

見えたって意味ないですから。

意味ないですよ、それは。

いいですか。

だから今日は、このスピリチュアルとサイキックの違いですね。

全く違うものなんだということを、ぜひ覚えておいてください。

そして、ほとんどのスピリチュアル業界といわれているところは、実はサイキックだと。

ほぼすべてがサイキック。

ちゃんとそうやって頭を変換させたほうがいいですよ。

そして、この見えないことをいいことにね、「後ろに何かついてる」とか。

これも違いますよ。

そうやってアピールする時点でもう間違いですからね。

自信がないから、そうやってやるんです。

それは全くスピリチュアルではない。

ごっこですね。

ごっこです。

はい。

これまで、これは言ってきたことではありますけども、改めてこの「スピリチュアルとサイキックの違い」というのは、はっきりと、このマジスピラジオではお伝えしたことがありませんでしたので。

ここではっきりとご認識いただいて。

そして、この地味な音声をお聞きのあなたであれば──

本当の意味でのスピリチュアル。

人間性や精神性ですね。

それを高めるということ。

それは簡単じゃないですし、私もそれはもちろん同じですけども、それを求めていくということが、真のスピリチュアルということですね。

はい。

ご参考になれば幸いです。

では、今回の内容も、多分1万字ぐらいになっていると思うんで、これを文字起こしして、多分5、6センチぐらいに縮めてですね。

そしてまた、そこで考えたことを文章にしていきますので。

よければ、私のホームページ「マジスピ」をご覧いただければと思います。

あとですね、そういった「本当のスピリチュアル」「本当のスピリチュアルカウンセリング」ということを意図してやっているのが、この「自己探求カウンセリング」ということですね。

これは霊能力、サイキックの類は一切使わない。

オーラを見たり、過去世を見たり、守護霊を見たりは一切しないです。

本当の意味でのスピリチュアルカウンセリング。

魂を見つめる、自己探求としてのカウンセリング。

これがどこまでできるかはわかりませんが、これに私はチャレンジをしている。

ちょうど収録している今日もですね、このカウンセリングを受けしてみましたけども、これもやっていますので。

ご興味がありましたら、私のホームページ「マジスピ」をご覧いただければ嬉しいです。

では、今回は以上です。

ありがとうございます。

改めて、今回の文字起こしの要点

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なお、YouTube(Podcast)は今回の文字起こし編集でカットした部分もあります。

なのでこちらも聞いていただけると、より理解が深まります。

※この下に「音声プレーヤー」があります。倍速再生も可能ですし、YouTubeより通信量も少ないし、スマホを画面オフにしても聴けるので便利です。

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