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スピリチュアルで最も大切なのは、死生観を抱くこと【芳村思風・感性論哲学の世界】

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回は「スピリチュアルと感性」について考えてみます。

このテーマのきっかけは、最近、10年以上前から本棚に並んでいた『感性論哲学の世界』という本がふと気になり、久々に手に取ってみたこと。

この本の著者は芳村思風(よしむらしふう)という哲学者の方です。

広く知られている方ではないと思いますが、私は20代のときにこの方の存在を知り、当時手に入る本の大半と講話テープを購入し、一通り目を通し、耳に入れました。

直接お目にかかったことはありませんが、私の知人の何人かはこの方から直接教えを受けており、ときおりお名前を聞く機会がありました。

現在、80歳を超えるご高齢のようですが「芳村思風」の名で検索するとウェブサイトが見つかり、そこでは現在も精力的に活動されているのが伝わってきます。

ご興味ある方はチェックしてみてください(ただし芳村思風先生は哲学者であってスピリチュアル関係の方でありません)。

私が尊敬する方は「前回のブログ」で取り上げた田坂広志先生のように、スピリチュアルの専門家でない方が大半です。

ただ、職業を問わず、与えられた「固有の天命」を深く追窮されている方には「独自の霊性」が宿っているのであって、私はそこに「感動」を覚える者です。

今回のブログで述べたいことは、

「スピリチュアルとは感性=感動の世界である」

ということ。

今回も「普通のスピリチュアル」でないことを述べていきますが、感動を追いかけること(= “感” じて “動” く)ことの先に「天命」があり、その感動こそ「天命」に動かされたものであることだけは、知っていただきたい。

霊的な世界は感性=感動によってしか掴むことができない

最近の私はZOOMで心理学系のセミナーをしょっちゅう受けているのですが、なぜかその途中で昔に読んだ『感性論哲学の世界』という本が気になりました。

パッと開いたページには以下のことが書いてあり、「あぁ、今の自分が欲しかった言葉だな」と感じたのです。

ちょっと難しいと思いますが紹介します。

真実の直観という次元にまでもたらされた人間的感性、実現された人間の感性とは、生命の本質、人間性の体系に矛盾しない感性であり、むしろ人間性の体系に基づいた感じ方をその本質とするものである。自己保存と種族保存、人類と社会と人倫に矛盾することなく、存在論的にはこれらのものを基礎として、これらのものをより合理的に実現し、より統一ある調和した世界、より真実な世界を直観的に求めんとする能動的な感性である。

『感性論哲学の世界』

理性は、人間が人間になる為の必要条件ではあるが、人間になる主体ではない。人間になる主体は感性である。「私」である。感性が人間になることによって、人間は、「私」は、初めて本質的に人間性を獲得し人間になることができるのである。

『感性論哲学の世界』

不思議なもので、パッと偶然開いたページに今の自分が求めている何かが記されていることは、ときどきあります。

カッコよく言えば「シンクロニシティ」というやつでしょう。

しかも、このページを開いたときはセミナー中だったのですぐ閉じたのですが、終わってからまたパッと開くと、前と全く同じページを開いてしまいました。

別にしおりを挟んでいるわけではなかったので「こんなことってある???」と自分でも驚きましたが、それほど自分にとっては大事なページだったのでしょうね。


さて、前置きはこのへんにして

「スピリチュアルとは感性=感動の世界である」

ということを考えていきましょう。

この本は哲学書なので、スピリチュアルの「ス」の字も出てきません。

でも、私の【感性】は「あぁ、感性こそスピリチュアルの土台となるものだ」という真実が見えたのです。

言い換えれば、

「スピリチュアルの世界は、理性(アタマ)で考えている限り、絶対にわからない」

ということ。

例えば「守護霊」と呼ばれているものの存在を、いくら理性で考えようとしても絶対に理解できません。

理性による客観的な証明は、現時点ではできないからです。

それは「自分の人生は何かによって導かれている」という、感性が捉える「理屈抜きの直観」を信頼できる人間にとって、はじめて本人の内側において真実となります。

このとき、特に「守護霊」という言葉にこだわる必要はなく、「ご先祖」「天」「天使」「聖霊」「観音様」「阿弥陀様」など、その人の感性にしっくりくる言葉を選べば良いでしょう。

「霊性」という言葉の意味は、わかるようでわからないものです。

さらに「スピリチュアル」という言葉はもっとわからないどころか、一般的には「なんだか怪しいもの」という手垢がついてしまっている。

私は「霊性」という言葉を「いのちの根っこ」や「いのちを “いのち” たらしめているもの」と理解していますが、これもなんだかわかりにくい。

なので以前から何か良い説明はできないものか、もっと感覚的にわかりやすい言葉はないものか、探していたわけです。

そうしたら、「感性」という日常で使っている言葉が、意を新たにしてやってきたわけです。

「霊性」というとわかりにくいですが、この霊性の発動・発露の土台となるものを「感性」と呼べば、一応は誰でも理解できる言葉になります。

肉体(五感)の感覚も、理性における思考も、その根幹には「感性」がある。

何か物を考えるというのは、「まだ言葉にならない何か」を感性が感じることから始まるからです。

「霊性」もまた「感性」を土台として発動・発露される。

「大いなるもの」「神なるもの」を感ずるのは、感性以外にはないからです。

よって感性とは、肉体・理性・霊性をつなぐ架け橋のような存在。

私はこういうことを上に引用した文章から感じ、考えたのでした。

・・・今回のブログはいつも以上に共感されない気がします(笑)

「だからどーした」と思われたらそれまでなんですが、言いたいことは、スピリチュアルの世界とはどこまでも感性の世界であって、理性であーだこーだ考えることではないんですね。

肉体の死から遠ざかるほど、魂は死んでしまう

スピリチュアルは「お勉強」ではありません。

いくら言葉で「ワンネス」だ「アセンション」だと言っても、感性的な人間であれば、現実世界はむしろその逆の様相になっていることを、悲しみとともに感じることでしょう。

内外の情勢を見渡せば、ワンネスとは逆の「セパレーション / アイソレーション(分離・疎外)」が広がっていること、アセンション(次元上昇)でなくどんどんディセンション(次元下降)していることを、胸の痛みとともに感じないでしょうか。

ただしアタマ(理性)が優位になっていると、自分の見たいものしか見ず、その結果として「お花畑」になってしまうのです。

以前、「感謝の言葉」を心を伴わせず、ただ「波動を上げる」という理由で機械的に繰り返す愚かさについて触れました。

これは感謝を口先で言っているだけで、そこに「感性」は働いていないのです。

ここでは「自分は上っ面で言葉を繰り返しているに過ぎない」という愚かさに気づかないほど、アタマが優位になってしまっている。

なぜポジティブな言葉から先に出す実践が言われているかというと、「言葉が感情を呼び起こす」という側面があるからです。

「有り難い」と言っていれば、そのうち「有り難い気持ち」になってくる、というロジックですね。

確かにそれは一理あるものの、言葉を繰り返しても感情が呼び起こされることなく上滑りしてしまうのが少なくないのは、言葉が「感性」にまで至っていないからです。

「感性」は「いのちの根源(の働き)」だとすれば、その言葉をいのちの根源にぶつけない限り、それが「言霊」として躍動することはない。

つまり「感動」がないのです。

言葉を「いのちの根源」にぶつけるのは、往々にして痛みが伴う。

これが「感謝」であれば、いかに自分が今まで恩知らずだったのか、傲慢にエゴイスティックに生きてきたのか・・・という「痛烈なる反省の痛み」が伴う。

自分の不甲斐なさに、人知れず涙することもある・・・いや、涙しなければ嘘でしょう。

実はこのとき、感性が開かれるわけです。

スピリチュアルをやっていても全く波動(オーラ)が輝かないどころか、ますます重たくなってしまうのは、無意識のうちにこの「痛烈なる痛み」から逃げようとしているからです。

スピリチュアルをやることが「ワタシ、いいことしてるわ」「世界平和、祈ってる自分はエライ」などと、エゴを隠すための絶好の言い訳として「高邁な教え」が利用されてしまう。

もっと卑近な例でいえば、転んでケガをしたりお腹が痛くなったりすると、普段気にならないその箇所が気になってしまいますよね。

これは肉体なので厳密には「感覚」ですが、感性は「痛み」によって鋭敏になるのは、人間の肉体レベルで考えても真実です。

「痛風」は文字通り「風に当てられるだけでも痛い」わけですから、かなり繊細な症状ですね。

たとえまだ小さい子どもであっても、ときおり病弱な人間の「眼」から深い何かを感じることがあるのは、このような理由からです。

病が、感性を、深めてくれる。

もっと言えば、そこに「死」を感ずる度合いだけ、感性は鋭敏になるといっていい。

以前から「死生観のないスピリチュアルは、真のスピリチュアル(=マジスピ)ではない」と言っているのですが、逆に言えばスピリチュアルの土台は感性であり、その感性を鋭敏にする最も根本なるものは「死生観を抱いているかどうか」なのです。

私もアタマでっかちな人間なので、油断すると理性優位になってしまいます。

その理性をブッ飛ばして「感性優位」になるためには、やはり「死を見つめるこころ」が必要なのです。

これには痛苦な想いが伴いますが、その忍耐の先に感性の豊かな世界があります。

前回のブログでご紹介した田坂広志先生の言葉をまた引用しますが、人生には3つの真実がある。

・人は、必ず死ぬ。

・人生は、たった一回しかない。

・人は、いつ死ぬか、わからない。

この覚悟を深く抱いて生きるとき、感性≒霊性が花ひらく。

その感性は、さっきの芳村思風先生の言葉をもう一度引用すると、

自己保存と種族保存、人類と社会と人倫に矛盾することなく、存在論的にはこれらのものを基礎として、これらのものをより合理的に実現し、より統一ある調和した世界、より真実な世界を直観的に求めんとする能動的な感性である。

哲学的な表現なので難しいですが、簡単に言えば、感性の中には「崇高なる何か」が与えられている、ということでしょう。

崇高なるものとは、「真・善・美」ということ。

それらの地上世界への展開としては「天命の自覚」と「成就への実践」として現れます。

当ブログでもよく「天命」という言葉を使っていますが、その自覚のためには死生観を見据えた感性が発動しなければ、いくら天命を祈願したところで、理性レベルの理解で終わってしまう。

いや、そもそもそれは「祈願」ではない。

ですから、ちょっと表現はきついのですが、日々を生きていても感動が少ない人は、それだけ「魂が死につつある」と言っていいでしょう。

逆説的ですが、肉体の死から遠ざかるほど、魂は死んでしまうのです。

もしそうだとしても、それは仕方ない側面が大いにあります。

現代の消費社会、グローバリズムに極まる物質文明というのは「死を忘れさせる」ようになっているからです。

YouTubeやNetflixを開けばいつでも「面白いコンテンツ」が見れるし、SNSを開けばどこかで起こっている炎上案件に匿名でリスクなしに「火をつける」ことができるからです。

そうした饗宴と狂宴の中で、死は忘れ去られる。

好きなことだけで、生きていく。

そうして、死を忘れ、魂を喪ってゆく。

もっと言えば、例の感染症で露呈したのは、私たちの「生への執着」でした。

「何のために生きるか・死ぬか」を問わず、ただ「リスク回避」のためだけの施策を遂行した結果、私たちはますます魂を忘れ、死を忘れるようになった。

皮肉なことにその結果として、「超過死亡数」が類を見ないほど激増しているわけです。

葬儀屋さんはキャパオーバーで、遺族は静かに掌を合わす機会すら与えられない。

これが深い悲しみでなくて、何でしょうか。

スピリチュアルを実践することの現代的意味は、喪われかけている「魂を取り戻す」ということ。

そのためには、いま一度「感性」を見直す必要があります。

また別に機会に述べるつもりですが、スピリチュアルでよく言われる「ゆだねる」「おまかせする」ということも、感性の働きがなければ絶対に不可能です。

なぜなら理性(アタマ)で考える人間は「お利口さん」なので、「ゆだねる」などという不確実性の高い「愚かな行為」は絶対にできないから。

それを「霊性」とか「スピリチュアル」とか「波動を高める」とか言っても何だかしっくりこないと感じていたとき、改めて「感性」という言葉の自由自在さを感じた次第です。

今回ご紹介した『感性論哲学の世界』という本は、けっこう難しいのであまり積極的にはオススメしません。

それよりは講座の話し言葉がベースになっている『人間の格』などが、最初としてはオススメです。

この本、昔は定価で1万円を超えていたんですよ・・・有り難い限りです。

私も絶版になっている本も含めて、全部読み返そうと思っています。

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