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なぜ病んでるスピリチュアル系カウンセラー・ヒーラー・セラピストが存在するのか? インチキとホンモノの境目はどこにあるのか?(『野の医者は笑う』ブックレビュー)

こんにちは。

波動カウンセラーの林 昭裕です。

「ご祈祷」は本当に非科学的な治療法か?

今回のブログは、本のレビューをします。

「無料メルマガ」へのご登録特典として、『波動の良い本』(登録後にお伝えするパスワードが必要)というページがあります。

このページでは「やさしい本」から「ちょっと難しい本」まで含め、自分が実際に読んで勉強になった本、さらに波動も良くて誰でも参考になりそうな本をご紹介しています。

ただ、そこでご紹介している本はまだまだ一部でして、他にも万人にオススメというわけじゃないけど、興味があれば読んでみるといいんじゃないかな、という本もあるんですね。

今後、仕込みに時間はかかるものの、ブックレビューも増やしていけたらいいなと考えています。

では、さっそく今回ご紹介する本を以下に載せましょう。

『野の医者は笑う -心の治療とは何か-』(東畑開人・誠信書房・2015年)

ネットサーフィンしていて、たまたま見つけた本です。

出版社の誠信書房って、心理学や精神医学のマジメな本を多く出している老舗なんですが、この本は軽い文体でユーモアも散りばめられており、「へぇ、こういう本も出すんやな」と意外でした。

本書は京都大学で伝統的な臨床心理学を学び、現役の「至極真っ当な臨床心理士」である筆者が、ふとしたきっかけからスピリチュアル系の「怪しいヒーリング」「非科学的なセラピー」を体当たりで受けまくり、その現場で知り合った「野の医者=スピリチュアル系ヒーラー」の生態をリサーチし、「学問的なセラピー」である臨床心理学との違いは何なのかを模索した一冊です。

一般的に「スピリチュアル系」は、アカデミックな分野から卑下される傾向にあります。

私の学生時代の友人で有名国立大で物理学を学び、現在は一部上場企業の研究員として働いているヤツから、

「スピリチュアル系は『波動』って言葉をテキトーに使うのが気に食わんわ」

と聞かされたことがあります。

(ごめんな、オレは「”波動” カウンセラー」って肩書でメシ食っとんねん・・・)

「怪しいヒーリング」もしているし、「守護霊メッセージ」なんていう●チガイと思わかねないこともやっとんねん・・・)

ただ、その友人には「林は学生時代からケッタイなヤツやった」ということが十分理解できているので、別に自分の今の仕事にケチをつけられることはない(「ケッタイな」とは関西弁で「変な」という意味)。

まぁ自分のことはさておき、スピ業界には確かに「怪しい人」はいるし、中には「霊感商法」と呼ばれるトラブルの類もあるので、一部に卑下する人がいるのは無理もないでしょう。

※「怪しい人たち」を分析した過去ブログ

スピ系のホンモノ・ニセモノを見抜く8つのポイントを、現役のスピリチュアルカウンセラーが語ってみた。【永久保存版】

逆に、スピリチュアルを含めた「民間療法系」のセラピスト(本書で言われる「野の医者」)の中には、アカデミックを批判する人がいます。

「傾聴(話を深いレベルで聴くこと)だけで心を癒すのも悪くはないけど、時間がかかりすぎやっちゅうねん」

「もっとラクに早く癒せる方法があるのに、旧態依然とした学問に凝り固まってエラそうにしている」

「”臨床” 心理士って資格を持ってる割に、ぜんぜん臨床(=実践)できない人が少なくない」(「資格なし」の某プロカウンセラーさんのコメント)

みたいな感じですね。

私の場合、別に傾聴だろうが、本書にも出てくるスピ業界では有名な(同時に批判も多い)「マインドブロックバスター」だろうが、クライアントさん(相談者さん)がラクになれるなら何でもええやん、って立場です。

別に伝統的な心理学がすべてでもないし、スピリチュアルがすべてでもない。

「心身の健康」が目標なら、別にセラピーじゃなくて食事指導に特化したっていいわけだし。

実際、「どんな癒しが正しいのか」という問いは本書でも述べられていて、

「アフリカの呪術医がアフリカ文化の賜物だったみたいに、近代医学だって普遍的なものじゃなくて文化に規定されたものじゃないか」(28ページ)

というわけ。

現在のコロナ禍の中、少し前のタンザニアでは当時の大統領が「感染を恐れず、外出しよう。悪魔のようなコロナはキリストの体の中では生存できない。神に祈ろう」と言っていたようです。

タンザニアのその態度は国際機関(=アカデミックな立場)からは「非科学的だ」と批判されたようですが、その批判は本当に「正しい」のでしょうか。

タンザニアでは今でも「祈祷師」が活躍しているらしい・・・まさに「野の医者」ですね。

それは「祈り」が重要視されていることを意味するし、また体験的に「効果」もあるんだろうなと察せられます(何の効果もなけりゃ重要視されるはずがない)。

実際、「祈りによって免疫力た高まる」という “科学的な研究” もあることから、「祈りは非科学的で野蛮な行いだ!」とバッサリ断罪することはできないでしょう。

それを言うなら「(現時点で科学的に正しいと考えられている)ロックダウンしている地域ほど実は感染者数が高い」という統計的事実はどうなんだ? という問いも成り立つ。

もとより「近代医学の正しさ」を規定するのは文化だけでなく「政治的・経済的な思惑」も働いていることは、ブログでは詳しい言及を避けますけど、昨今のコロナ関係のニュースを注意深く見ていればお分かりのはず。

「科学的」に「正しい」ってなんやろうね?

話が横道に逸れそうなので戻すと、「アカデミック」と「非アカデミック(野の医者)」とが対立しやすい構造にある中、著者のようにアカデミックで育った立場でスピリチュアル系セラピーという「非アカデミックのジャングル」に単独潜入していくのは珍しいんじゃないでしょうか。

“まともな” 筆者も最初は「うさんくささ」を感じつつも、少しずつ「怪しいスピリチュアル」に馴染んでいき、それによって揺るぎないホームグラウンドであったはずの臨床心理学に疑問を抱いていくプロセスが面白い。

「なんでもアリのスピリチュアル業界」の一端を知る上でも、実体験中心の味わいある一冊です。

傷ついた経験がなければ、癒しの道を歩もうとは思わない

では概要は一通り説明したので、ここからは今回のメインテーマである

「なぜ病んでるスピリチュアル系カウンセラー・ヒーラー・セラピストが少なくないのか?」

について述べていきましょう。

過去のブログやラジオをご覧になればお分かりと思いますが、私は

「スピリチュアルお花畑を、火炎放射器で焼き払いたい!」

というヘタすりゃ自分にまで飛び火しかねない煩悩を持っているので、そんな私のところには

・「このスピリチュアルカウンセラーって本当に信用できますか?」

 

・「この占い師さんに怖くなることを言われてしまったんですが、大丈夫でしょうか?」

 

・「エネルギーヒーリングを受けたら、余計に体調が悪くなってしまいました・・・」

といったご相談も寄せられます。

最近では、

・「あるスピ系カウンセラーさんに相談したとき、(こちらがある程度お金を持っていると察してから)セッション料金を値上げされてしまった」

といったご相談がありました。

「人のサイフを見て値上げする」というケースは、残念ながら他でもありますねぇ・・・。

こんな感じで、決して心身が浄化されているとは感じられなかったり、人間として成熟しているとは感じられなかったりする「スピリチュアル屋」がときどき存在する。

その相談者さんは「スピリチュアル業界って本当にカオスですね・・・」といった感想を述べておられましたが、そもそもどうして「カオス」になっちゃうんでしょうか?

それを考える上で参考になる考えが、先ほどの本の中で触れられていました。

私なりに噛み砕いてお伝えしますと、その理由は

「自分の痛みを癒すためにスピリチュアルやセラピーの世界に入り、その『癒しの旅』は、今もなお続いているから

なんです。

このことを指摘されると、いまスピリチュアルやセラピーの仕事をしている人なら「ドキッとする」かもね。

言い換えると、

「本当は自分を癒したいために、他人の癒しを必要としてしまう」

ということ(「フォロワーの数」を必要とする場合もある)。

もっと言っちゃおうか?

「表向きは人を救いたいとか癒したいとか言ってるけど、ホントは自分を救いたい、自分を癒したいってことよね?」

今後スピリチュアルを仕事にしたい人も、もしかしたら「ドキッとする」発言かもしれません。

もしドキッとするとすれば、それはスピリチュアルやセラピーのキラキラした世界に覆い隠した「自分の傷ついたエゴ」がチラッと顔を出すからかもしれませんね。

いや、別にいいんですよ、それは。

誤解が生じるかもしれないので補足すると、

「自分を癒すためにスピリチュアルやセラピーを積極的に活用するのはダメなんじゃなくて、むしろ全然アリ」

ということです。

「自分の痛みを癒したり解放したりして、幸せで充実した人生を送ること」に対し、もし反対する人がいたとしたらアタマおかしいでしょ。

そして、もし自分がスピリチュアル系のカウンセリング、ヒーリング、セラピー等で癒されたとしたら、

「この癒しの喜びを、この解放の感動を、他の人とも分かち合いたい!」

と強く思う人が出てくるのはとっても自然なことじゃないでしょうか。

実際、いまスピリチュアル系やヒーリング・セラピーのお仕事をしている人たちの中で、

「ワイは生まれてからずっと、何の苦しみも悩みもなかったし、ゴリゴリの体育会系で先輩から言われたことはどんな理不尽なことでも『イエス!高須!』やったし、人生のモットーは『元気があれば何でもできる!』と『死ぬこと以外かすり傷!』やがな!」

なんてヤツ、いるわけないやろ(笑)

人により個人差はあっても共通するのが、人生のどこかで大きな苦悩を抱え、そこで暗中模索しているうちにスピリチュアルやセラピーと出会い、それがきっかけで運命が大きく変わり、今度は自分が「癒し手」になった。

もちろん例外はあるでしょうけど、多くの人は

〈苦悩〉→〈再生〉→〈触媒〉

というプロセスをたどっているはず(〈触媒〉というのは「癒しのきっかけを与える人」ぐらいに捉えてください)。

私もそうですよ。

カンタンに言えば、小学生の頃から「この世になじめない」という漠然とした不安を抱え、それが高校生のときに「この世はヘンだ」という不信にまで深まり、そこから不器用で遠回りな探究が始まった。

個人的にはスピリチュアルへの興味は「好奇心」が一番大きかったですが、その背景には「生きる意味を掴みたい」という渇望感があったのは事実。

なので私も含め、

「そもそも傷ついた経験がなけりゃ、癒しの道に進みたいなんて思わねーよ」

ということなんです。

自分の痛みの経験を通じて、いま相手の抱えている痛みを想像することができる。

もちろん自分の痛みと相手の痛みは全く同じではないけれど、その辛さに対して心を寄せることはできる。

なので、やっぱりカウンセラーやセラピスト、ヒーラーにとって「痛みの経験」は大切なものですよ。

ちなみに、先ほどの本には

「治療者になるためには、一度病者にならないといけない。あるいは、病者が治療者になる。人間は病み傷つくことで、人を癒す力を手に入れる、ここに伝統的な癒しの文化がある」(48ページ)

と書かれています。

癒しの道は自己浄化に始まり自己浄化に終わる

上のセクションで述べた通り、確かに痛みの経験は大切ではある。

ただ、ここでさらに問われてくることがあるんですね。

それが何かというと、

「自分自身の癒しを、中途半端で終わらせていないか?」

ということ。

ここでも、もっと言っちゃうと

「自分自身への癒しはもう十分だ、これで良い、と妥協していないか?」

ということ。

この段階に留まってしまうと、今回のタイトルである

「病んでるスピリチュアル系カウンセラー・ヒーラー・セラピスト」

になってしまう可能性がギュイィィィーン!っと高くなってしまう。

何らかの痛みがきっかけでスピリチュアルやセラピーの世界に入るのは、先ほど述べた通り、全く構わんですよ。

そこからもし、カウンセラーやヒーラー、セラピストの道を志すんだったら、その痛みとは徹底的に向き合ってきたかどうかって、すごーーーーーーーーーーーーーく大切なこと。

でも、私はたまたま「人の波動(オーラ)を、たとえ物理的な距離が離れていても観える」という●チガイ能力があるので、それでいろんな人を観ていると、

「あぁ、この人、自分自身への癒しを横に置いてるんとちゃうかなぁ」

と感じる場合があるわけ。

「だから、他人を癒すことによって、ホントは自分を癒したいんやろうなぁ」

これが今回の本の著者の経験してきた「アカデミックな治療法」の場合、一人前になるためには、「自分自身がクライアントになって、自分自身を徹底的に見つめる」というトレーニングをかなりやるんです。

もちろん大学の中でのトレーニングだけがすべてではなく、卒業して一人前になってからも「自分への癒し」はずっと続きますよ。

なので、心ある人は卒業してからも師の指導を受け続けるわけ。

私もまた師匠がいて、もう十数年にわたってご指導いただいています。

自分への癒しの手段として、巧みに他人を利用しないために。

けれども、特にスピリチュアル系セラピスト(本で言うところの「野の医者」)の場合、かなり意識しないと「自分への癒し」がおろそかになってしまう傾向があるようです。

で、まだ自分自身への癒しが中途半端なくせに、「もう自分はデキてる、イケてる」と思ってしまう。

そこで、あるスピリチュアル系カウンセラーは「自分の内側にまだ巣食っている深い痛み」を隠すために、キラキラした素晴らしい自分を見せる演出をしようとする。

そこで、あるスピリチュアル系セラピストは、「自分の内側にまだ巣食っている深い痛み」を隠すために、ガンガン引き寄せが実現している状態を演出しようとする。

そこで、あるスピリチュアル系ヒーラーは、「自分の内側にまだ巣食っている深い痛み」を隠すために、妙なヨコ文字を使いアウェイクニングしたフリしてアセンションゲートをくぐったぜとワンネス万歳三唱を宇宙の中心で叫ぼうとする。

しかし、肝心の波動(オーラ)はちっとも浄化されていない。

いや、「過剰な小細工」をした分だけ、波動はますます重たくなる。

はい、これが「病んでるスピリチュアル系カウンセラー・ヒーラー・セラピスト」がときどき見られる理由かな、と私は考えています。

もちろん「完全なる自己浄化」というのはあり得なくって、癒しの道を志す限りはどこかでスタートしなきゃいけないんですけど、大事なことはよく言われることですけど「初心忘れるべからず」ということなんです。

これは「レイキヒーラー養成講座」でもお伝えしていることなんですけど、癒しの道というのはどこまでレベルが上がっても、自己浄化にはじまり自己浄化に終わるんですよ。

こう述べたそばから早くも「じゃあオマエはどうなんだ???」って我が脳内にてセルフツッコミが響いておりますし、あなたもそう疑問に感じたかもしれません。

少なくとも言えるのは、「もう自分はデキてる、イケてる」と自己満足してしまうことのヤバさは、いろんな人の波動を見て知っているつもりなので、「オレもエラそうなことを言ってるけど、油断したらまったく同じやろうなぁ・・・」という自戒の気持ちはある、ということでしょうかね。

もし自分の中で癒されていない部分があるとすれば、それは日常の中で何らかの出来事として現れるだろうし、私自身「スピリチュアル屋」なので、きっとお客様との間で何らかのトラブルやすれ違いとして出てくるんだろうなと覚悟しています。

ま、こんなブログ作ってるんだから、そりゃ「言ってるヤツが一番できてない」というのは、一番カッコ悪いですな。

ただ、イケてないヤツは、お客様とのトラブルを、お客様側の責任になすりつけようとするんですよ。

こんなヤツとは、付き合ったらアカンで。

そもそも、「引き寄せ」の何たるか、何もわかってへんヤツやから。

 

・・・てなわけで、ブックレビューなんて言いながら、ほとんどが自分の文章になってしまった(笑)

ま、私は本を丸パクリではなく、読書をきっかけにいろいろ考えたい性格なので、これからはこういう感じの発信もしていきます。

もし他にネタがなければ、次回のブログでも今回の本を取り上げますね。

いろいろ書きたいことが湧いてくるぐらい、自分にとっては面白かったです。

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