6月10日「自分らしさを取り戻し、真の幸せを生きる」自分創造ワークショップのご案内

神様に愛され、天命を簡単に実現させる方法。祈りごころで今日の務めを果たそう。

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

最近はもっぱら「天命」について考えていますが、今回は

「天に愛される生き方」

についてさらに考えていきます。

このブログを読んでいただくと、

・天が味方する生き方は極めてシンプルであること

・誰でも天命を生きることが可能であること

・スピリチュアルをマニアックに学ぶ必要はないこと

について学ぶことができます。

「好きなことだけをして生きること」だけが人生ではない

今回も前回のブログの復習をしてから進めます。

前回は昨今の「好きなことだけで生きていく」という価値観に対し、少し異を唱えたのでした。

「天命」というのは、必ずしも「好きなこと」とイコールではありません。

そういえば、以前、「『やりたいこと』『やるべきこと』、どちらも大切」というタイトルのPodcastを出したことがあります。

このときは少し気を遣って「どっちも大切ですよ」と話した記憶がありますが、「天命」という観点から言えば、むしろ「やるべきことをやる」方が大事でしょう。

例えば、私は直接的な経験はありませんが、一般的に「子育て」というのは「やりたいこと」でもあるし、「やるべきこと」でもありますよね。

「やりたくない」ときでも、「やらなければならない」もの。

やらずに放置していれば、おそらく後で大きな問題になるか、悔いが残ってしまうもの。

先日、映画『ジョーカー』で話題になった俳優ホアキン・フェニックス主演の『カモン カモン』という作品を観ました(今回はジョーカーとは真逆の役柄)。

これは「9歳の甥っ子を預かったおじさんの、ドタバタ子守り体験記」です。

子供の面倒を見るのに嫌気がさしたとしても、逃げるわけにはいかない。

つくづく、親の天命とは子供を忍耐しながら育てていくことだなと感じました。

これが「好きなことだけで生きていく」となると、子育てに嫌気がさしたら育児放棄することになりますが、どの家庭もそうなったら世界は一気に崩壊しているでしょう。

子育てという身近な例(広い意味では教育)だけを考えても、「好きなことだけで生きていく」という価値観はかなり無理があります。

「好きなことだけで生きていく」のが悪いとは思わないけど、見知らぬ誰かが自分の代わりに「嫌なこと」をしてくださっているからこそ、この世は回っている。このことを忘れたくない。

もちろん我慢だけで仕事や家事をこなしていくのは、かなりしんどいことでしょう。

現に、私自身も企業組織で働くのはどれほどイヤだったかわからない。

いわばその反動として「好きなことだけで生きていく」という価値観がもてはやされているわけです。

スピリチュアル業界でも「好きなことだけで生きていこう」と推奨している向きがありますが、それは一歩間違えれば、スピリチュアリティとは正反対に、エゴを膨張させることになりかねない。

理想を言えば「やりたいこと」と「やるべきこと」がなるべく一致している生き方が望ましいですね。

天命とは「自分は何か必要があってこの世に生まれてきたのだ」という感覚から始まることは、何回か前からお伝えしています。

その天命的な感覚を深く抱くことができたら、たとえやりたくないことであったとしても、「これは今の自分にとっては『やるべきこと』なのだろう」と、良い意味で「あきらめ感」を持って取り組むことができるようになります。

むろん本当にイヤな仕事であれば、やはり転職やキャリアチェンジを考えるのが現実的ですよ。

先日もカウンセリングでお越しになった方から、転職のご相談がありました。

その方は業界大手で働いており、給料はそれなりにもらっているとのことでしたが、自分が組織の歯車のような気がして、やりがいが感じられないとのことでした。

ただ、深く話をお聞きしていくと、かなり興味深いことをおっしゃっていました。

「実は人づきあいもすごく苦手で、正直言ってあまりコミュニケーションは取りたくないんです。でも、自分はあえてこういう場所で働こうと思ったんです。本当はやりたくないことだけど、だからこそ逆にそういう経験が必要だと考えて、あえて今の会社で働いているんですね。でも、もうそろそろいいかな・・・という気がしています」

この方にとっては「あえて苦手な世界に身を置く」ということがチャレンジであり、そしてそれはおそらく天命のプロセスだったということでしょう。

この方のように「やるべきことだからやる」というのも立派な選択なんです。

むしろ「やりたいことをやる」価値観が全盛に見えるような世の中なので、それとバランスを取るように「やるべきことをやる」という考え方を織り込んだ方があまり過たないでしょうね。

私自身、このブログを書くのはあまり「やりたいこと」ではありません(笑)

できればサボりたいところなんですが、「これはやるべきだ」という天命的な思いがそれなりにあるので、どっこらしょ、よっこらせ、と重い腰を上げてなんとか続けています。

私は外からは「やりたいこと」をやっているように見えているようですが、全然そんなことはないですよ。

ま、サラリーマン時代に比べれば、イヤな感じはずーっとマシであることは間違いないですけどね。

根源的な天命とは、平和を実現すること。

では前回を簡単におさらいした上で、今回は「天命」というものをさらに考えていきましょう。

先ほど述べたように、天命とは「自分は何か必要があってこの世に生まれてきたのだ」という感覚のこと。

言い換えれば、「必要があって、生かされている」という感覚。

ここが天命を自覚する原点になるので、「自分はもう年なので、今さら天命なんて・・・」という考え方は非常にもったいない。

すごく大切なことなので何度でも言いますが、たとえもう死の直前だとしても、天命を自覚することで感謝の念が湧いてきたら、波動(オーラ)は立派に輝きます。

これも何度か言っていますが、天命とは「仕事」や「役割」だけを意味しません。

死は不幸ではなく成長の最終段階。今まで受けてきた恩への深い感謝によって魂は輝く。

そもそもスピリチュアル的な考えを信ずるなら、たとえ死の直前でも学んだことは「死後」や「来世」に役立つだろう、という視点を持てるのではないでしょうか。

だとすれば、肉体の年齢なんてあまり関係ねーだろ、という話。

スピリチュアル的な考え方にそれなりに共感できている方でも、「もう年齢なんで・・・」と尻込みすることが少なくありません。

もちろん肉体は老いていくわけですから、若いときのような体力はないでしょう。

ただ、人間の本質が「霊」であることがわかればわかるほど、少なくとも精神は肉体から自由になるわけですから、マジスピ的には「もう年なんで・・・」という言葉はNGワードにしてもいいぐらいですね。

ま、こう言うと私がジジイになったらどうなるかが問われるわけですが・・・どうでしょうか。

さて、その上でさらに考えたいのは、「天命を生きる」というのは「天の命令に応える」ということです。

かつて、武士は「主君の命」に仕えることが主たる責務だったわけですよね。

これを「忠義」という。

ならば、天命、「天の命」に仕えるというのは「天に対する忠義」です。

忠義というのは、言い換えれば「捧げる」ということ。

天、自分を超えた大いなるものに自分を捧げるということが、「天命」の本質です。

「生かされていることの自覚」から一歩進んで、天の命令に対する応答として「自分を捧げる」ということが、天命を生きるということなんですね。

・・・ではいったい、「天の命令」とは何なのでしょうか?

実はこれを考えるちょうど良いテキストがあるんです。

あの聖書から引用しましょう。

わたしは青銅の代わりに金を 鉄の代わりに銀をもたらし 木の代わりに青銅を 石の代わりに鉄をもたらす。 わたしがあなたに与える命令は平和 あなたを支配するものは恵みの業。(イザヤ書 60:17 新共同訳 より)

いやー、ストレートに書かれているのが素晴らしい。

「わたし(神)があなたに与える命は平」だとハッキリ書かれている。

(「令和」という元号は万葉集から引用されているわけですが、聖書にも同じような言葉が記されているのは、果たして偶然なのか必然なのか・・・)

まぁ今の世界はアーメン神に祈りながら戦争しているのが悲しい現実。

それは「権力者たち」は宗教を大衆心理操作に利用するだけで肝心な信仰心は皆無だからですが、少なくとも聖書にはこう書かれているわけです。

この部分は別にクリスチャンじゃなくたって、大いに参考にするべきでしょう。

「自分には天命が何なのかわかりません」と言う人でも、「天(神)の命」の根幹は【平和】であるなら、いまその場所でできる何かがあるはず。

平たく言えば、「人に喜ばれることをする」ということ。

たとえ小さなことでもいいから、なるべく誰かの役に立てるよう心がけること。

それは何もボランティアに限らず、会社員であればいま受け持っている仕事を通じて、子育て中の方であればお子さんを通じて、何かの役に立つよう心がけること。

道でゴミがあれば拾い、電車で体の不自由な人を見つけたら席を譲ること。

もし意欲や力量があれば、自分で何か事業なりプロジェクトなりを立ち上げて、社会事業家として貢献していくこと。

なるべく社会や政治に関心を持って、世界にはびこる欺瞞を見抜く眼を持つこと。

そして、誹謗中傷や愚痴や泣き言ではなく、自分の意見を表現していくこと(日本じゃ少し勇気いるけどね)。

【参考】スピリチュアルとは関係ないですが・・・

【番外編1】ロシア・ウクライナ問題は、なるべくフラットに考えること。洗脳と扇動もまた戦争なのだ。

【番外編2】ワ○○○は推進でも反対でもなく、今は冷静な情報収集が吉。やがて歴史が虚偽を暴くだろう。

「いや、私は特に何もすることがありません。ずっと孤独だし、これといった趣味もありません」という方は・・・

よければ、世界平和を祈ってください。

1回や2回祈って終わりではなく、ぜひ何度も何度も何度も何度も、朝に昼に夕に夜に祈りまくってください。

世界平和を深く長く祈るというのも、立派な貢献です。

第116回:「世界平和の祈り」はオーラを最も輝かせ、かつ一番簡単にできる実践法。宗教宗派、思想信条の違いを超え「天国言葉」を人生に活用しよう。【批判覚悟】【五井昌久】

ただし「祈るだけで何もしない」のは、現実的ではありません。

なるべくなら、何か自分にできることをした上で、祈っていきましょう。

そうやって自分の心が浄化されるだけでも、平和への土台がひとつ築くことになりますから。

神様に好かれ、自ずと幸せも得られるたった一つの心がけ。

「天が味方する生き方」や「神により愛される生き方」をするには、道徳の授業みたいで恐縮ですが、世のため人のために何かをしようと願うことです。

なぜかというと、天や神を人格的に考えたとき、それらの存在は「生きとし生けるものの大調和」を願っているからです。

私たちが古今東西、どんな人物を尊敬するかといえば、決まって社会に大きな貢献をした人ですよね。

その人物の内にある「無私の精神」に心打たれるわけです。

その「無私の精神」とは、おそらく天や神の御心(みこころ)に違いない。

なので、天や神の波動(厳密には「神霊波動」と言います)と同調するには、なるべく「世のため人のため」という心がけを持つことが大事です。

これ、別に「聖人君主になろうぜ」という提案をしているのではなく、極めて「合理的な計算」に基づくものなんです。

だって、いま流行りの「クラウドファンディング」だって、本当に応援したくなるようなプロジェクトは、多くの人にプラスをもたらしてくれそうだなと期待できるものばかりでしょ。

実は先日、個人的に「以下のクラウドファンディング」を応援したんですが、このプロジェクトは歴代のクラファンの財布部門において過去最高の応援金額になったようです。

このプロジェクトの説明文を読むと、本当に使い勝手の良い財布を作るため、地道な試行錯誤を重ねておられることがわかります。

あと、私は左利きなんですけど、なんと「左利き用の財布」も製作してくれるんですよ。

そんな配慮、今まで聞いたことがない・・・素晴らしい取り組みじゃないですか。

その想いが通じたからこそ(宣伝にも余念がなかったのもあるけど)、史上最高の応援金額を叩き出したわけですよね(目標金額の28011%・・・約280倍もの達成率)。

本当に世のため人のためになることをすれば応援されやすくなるわけですから、ちゃんとそれを計算して合理的に「いい人」を演じていくんです。

そうすれば天や神の波動と同調してチャンスに恵まれやすくなったり、より具体的には人が応援してくれるようになったりするわけです。

逆に、「オレの野望」や「ワタシのエゴ」を実現しようと思っても、権力やカネのパワーで釣るのでもなければ、たとえ一時的には栄えたとしても、いつかは天も人も見放すでしょうよ。

ま、現実的には「良かれ」と思ってやったことが裏目に出たり、悪いヤツに利用されたりして損をすることもあるかもしれません。

それがこの世を生きる難しさであり、「真面目に生きればバカを見る」と言われる理由です。

また「苦しい犠牲精神」で人のために何かやろうと思っても、それはそれで自他ともにあまり幸せにはなれない・・・シンプルなようで、そうでない側面もあるっちゃある。

ただ、それでもなお、合理的に計算高く「いい人」を演じていくこと。

たとえ未熟なままで良い、たとえエゴまみれであっても良い、たとえバカと思われても良い。

それでもなお、世のため人のためになることを願い続けること。

自分を癒しながら、励ましながら、往生際悪く、願い続けよう。

これが「祈り」なんですよ。

その祈りごころを持ち続けることができたら、「天命の力」はより大きく私たちに働きかけます。

それに、そうやって「世のため人のため」と祈っていく心がけが、求めずして幸せをもたらしてくれるんです。

前回のブログで「二人の石切り職人」の寓話をご紹介しました。

同じ石切りの仕事をしていても、一人は「この面倒くせえ石を切っているのさ」と自己中心であり、もう一人は「素晴らしい祈りの場となる教会を作っているんです」と他者志向です。

この後者は「仕事の先にあるもの」を想像(創造)しているだけで、幸せを感じることができる。

それは霊的には「天が、神が、歓んでいるから」です。

その歓びが、祝福として内面深くから湧き出づるからです。

特に幸せを "引き寄せよう" なんて思わなくとも、「世のため人のために何かをしよう」と思いは「神の祝福の水路」を開き、自然と私たちに必要なものを与えるのであります。

それを信ずることもまた、私たちに働きかける「天命の力」をより大きく活かす心がけでしょう。


「好きなことだけをして生きる」という価値観の背後には、西洋的な個人主義がある。

もちろん「嫌なことだけして生きる」のはしんどいですが、あまりに個人主義に偏り過ぎた結果、私たちは総じて「生きる意味」を見失い、ニヒリズム(虚無主義)に陥っている。

それはこの種の個人主義が物質主義的な価値観、「モノさえ豊かになれば幸せになれるはずだ」という観念と裏表だから。

個人主義的に「自己実現」を目指した結果、皮肉にも「自己」を見失いつつある。

なので、実際に私が波動(オーラ)を拝見すると、社会的には「成功者」なのに、その波動はどえらく重たいケースがあるわけです。

その人々は周りが思っているほど、幸せなんかじゃないんですよ。

その自己をいま一度充足させるには、逆説的だけれども、「自己を超えていく視点」が必要です。

それがなんてことはない、「世のため人のために生きる」という小学生でも教わっているようなこと。

別にスピリチュアルなど学んでいなくとも、自然と「世のため人のため」に生きている人の波動は清らかです。

いくらスピリチュアルを学んでいても、単にオカルトやファンタジーとして宙を舞うだけの人は、やはり波動は重たいことが多い。

波動を輝かせるために心がけるべき原理原則は、実にシンプルであります。

ぜひお互い実践していきましょう。

今日のまとめ

・天命とは必ずしも「やりたいこと」とは限らず、むしろ「やりたくないこと」「苦手なこと」が天命である場合もあること

 

・万人に共通する天命とは「平和を実現すること」だから、誰でも今すぐできる何かがあること。

 

・神や天に応援されるには、「世のため人のために生きる」という "神様のこころ" と同調する生き方を心がけること。

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