【初回ゆえ激安】7月9日「自分らしさを取り戻し、真の幸せを生きる」自分創造ワークショップ

自己肯定感を高め劣等感を超える天命力は、「自分の不思議」への驚きから生まれる。

お名前だけで人やモノのオーラ(波動)がわかる、波動カウンセラーの林 昭裕です(「詳しい自己紹介はこちら」)。

【マジスピ】(真のスピリチュアル・脱お花畑スピリチュアル)をテーマに情報発信しています。

今回は

「『天命』を感ずるためには、自己の不思議、運命の不思議、存在の不思議を感ずるセンスが必要」

ということについて考えていきます。

私はかなり理屈っぽい方だという自覚はあるものの、この天命だけはいくら理屈で考えてもわからないと思います。

なので、今回のブログを最後まで読んでいただいて、「自分が自分であることの不思議さ」について考えてみましょう。

守護霊や宇宙人や過去世だけが不思議じゃないんです。

当たり前のように感じることこそ、実は最も不思議なことなんですよ。

天命を自覚するほど、安易に他人と比較しなくなる

まずは「前回のブログ」の振り返りをしましょう。

・深い天命観を抱いている人間にとって、「自分の実力以上の不思議な何かが現実に展開してくること」は、もはや「常識」である。

 

・天命的な態度とは、いかなる場合があろうとも、そのすべてを「必然」だと引き受けられる覚悟のこと。それが確立していれば、具体的な役割や仕事にまで結実していなくとも、立派に天命を生きている。

 

・「いのちの不思議さ」について考え、本当に大切なことはほとんど何も知らないと思い知るところから、「天命にゆだねる道」が開けてくる。

より詳しくは前回のブログをご参照ください。

今回も天命について考えてみましょう。

スピリチュアル業界でよく「(天命や運命に)ゆだねる」と言いますけど、これは「自分は何も知らない」ということを徹底的に思い知ることが原点にないと、単なる言葉遊び、スピリチュアルごっこで終わります。

口先では「すべて宇宙にゆだねます!」なんてスピッたセリフを吐いておきながら、都合が悪いことが起こると落ち込んだりイラついたりする人を何人も見てきました(汗)

できないのなら、最初から言わんかったらええのに。

ま、口先で言うほど「ゆだねる」のは簡単じゃないってこと。

ただ、誰もが「天命」を与えられて生きているので、せっかく因縁あって人間として生きているからには、なるべく「ゆだねて」生きていきたいものですね。

さて、その天命を自覚するにつれ、何が変わってくるか。

「自分と他人とを安易に比較しなくなる」

これですよ、これ。

すごく心の平安を得られるでしょうね。

「天命の自覚」というのは、「天」と「地(自分)」との【垂直的な関係】です。

天地にまっすぐ1本の「柱」が立っているイメージを持てばわかるかと思います。

これを踏まえると、日本の神様に対して「柱」という単位をつけるのは、なんとなく理解できる気がしませんか。

また、安心立命の「立命」は「命が立つ」と言いますが、この「立つ」というのも先の文脈に照らせば、「天に対して命がまっすぐ立つと、真の安心に至る」と解釈できます。

(ついでに言えば、背筋をまっすぐ立たせるのも気持ちをシャンとさせるのに大事ですよ)

一方、この現象世界はすべて【水平的な関係】で成り立っています。

これはそうですよね。

男性か女性か、お金持ちか貧しいか、偏差値が高いか低いか、健康か不健康か、仕事ができるかできないか、面白いか面白くないか、本当かウソか・・・この世はすべて横並びで比較検討される場です。

そんな【水平的な関係】の中で、私たちはときに劣等感を抱いたり、ときに優越感でドヤったりします。

ただ、いちど天命の自覚という【垂直的な関係】が堅固になると、もはや安易に他人と比較したり競争したりしなくなる。

もちろん自分の立ち位置を知るために他を参考にすることはあるでしょうが、それによって心を煩わせることはなくなります。

ま、「ゆだねる」と同様、これが簡単にできりゃ苦労しないんですけどね。

この【天命の自覚】は、天命そのものの大小は問いません。

人によってさまざまな因縁や運命があるので、ある人の天命はとても目立ったり社会(=水平的な関係性)の中で評価されたりします。

一方、ある人の天命はとても地味だったり、社会の中ではさほど評価されない場合もあります。

多くの人は前者のように目立ったり評価されたりした方がいいと思うかもしれません。

いわゆる「成功者」と言われる人たちはこういうタイプでしょうから。

でも、必ずしも全員がそうとは限りません。

私が会社務めをしていた時代、サラリーマンの聖地である「新橋」の飲食店に飛び込み営業をしていたときのこと。

(十数年前、新橋このあたりを飛び込み営業していました。このブログを書いている途中、たまたま新橋に寄る機会があったので撮影)

新橋には飲み屋がたくさんあるんですけど、その中でカウンターしかない小さなお寿司屋さんがありました。

そのお店に飛び込み営業をしたとき、たまたまそこの大将がすごく人の良い方だったので、すぐ拒絶されなかったのが幸いでした。

ただ、私は当時の仕事にあまりやる気がなかったので(汗)いつの間にかセールスよりもお相手の人となりを聞いていましたね(「なぜその人は"その人"なのか?」という興味は今も変わりません)。

たまたま大将と波長が合ったのか、「オレは築地で何年か修行して、それから20年ぐらいこのお店をやっているんだよ。小さいお店だけど、ここがオレの城なんだよ」といった仕事への想いを何の得にもならないのに丁寧にご説明いただいたことを、今でもよく覚えています。

大将がご自身の仕事にすごく誇りを持ってやっておられ、そこに「他人と比べる」ということはないだろうなと感じました。

・・・そのような「人との出逢い」が、天命というものを考える具体的なきっかけになっているのかもしれません。

たとえ見た目は小さくとも、「これが自分の天命なのだ」と自覚して取り組んでいるのなら、その人は「小さな宇宙」を拓いていることになります。

そういう人はもう、安易に人と比較競争しません。

あなたは、人とすぐに比べてしまい、ときにヘコむことがあるでしょうか?

新しいことに挑戦しようと思っても、「すでにこのジャンルにはデキる人がたくさんいるから・・・」と尻込みしているでしょうか?

その度合が深いほど、【水平的な世界】に絡め取られてしまっていることになります。

それは生身の人間として生きている以上、無理もないこと。

そうやって絡め取る力は、マジで協力なので。

ただ、その仕事やその役割が、「自分じゃダメかも、モノにならないかも・・・」と何度も何度も否定してもなお、「それでも、やっぱりやりたい」という気持ちを捨て切れないのであれば、それは天命、「天から呼ばれている」可能性が濃厚です。

もしかしたら、その「天から呼ばれている」という感覚は、妄想やファンタジーかもしれない。

単なるカン違いかもしれない。

ただ「たとえそれでも構わない、これが自分の歩む道だと感じるから、やってみよう」という覚悟ができたとき、【垂直的な関係】つまり「天命の自覚」が生まれるのだろうと思います。

そのときはもう、あまり他人と比較しなくなるでしょう。

まぁ最初から迷わず一直線で進める人もいるかもしれませんが、私も含めて多くの人は迷いますよね。

でも、そうした迷いが深ければ深いほど、そこで掴んだ天命の感覚はそう簡単に崩れることはないですよね。

それまで迷いの深さが、そのまま「信」の深さに転じるわけです。

ならば、信ずるがために疑え。

「天命力」とは、天からの呼びかけを受け取る力のこと

何度か言った【垂直的な関係】(天命の自覚)を築く土台となるものは何かというと、

「天からの呼び声」を感じる感性と、それに「応じる能力」なんです。

以前のPodcastのどこかでしゃべった記憶がありますが、これは「コール アンド レスポンス」ということなんですね。

天からのコール(呼び声)に対して、レスポンスする(応じる・応える)能力が、天命を自覚する深さにつながっていきます。

レスポンス(response)する能力(ability)とは、語源的に「責任(responsibility)」です。

そう、天命とは「天からの命を負う責務」「天からの呼び声に応える責任」と言うこともできるわけです。

巷で言われる「好きなことだけをやる」という軽いノリとは似て非なるものですね(本当は好きなことでも仕事になれば責任が伴うものですけど)。

なので、天命とニュアンスが近い「使命」のことを英語で「コーリング(Calling)」と言うんですよね。

言葉って面白くて、英語圏の人々もまた感性的に「使命とは(神から)呼ばれることである」と知っているんでしょう。

私、「守護霊リーディング」というパフォーマンス芸をやっているから言えると思いますけど、

天は、常に、あなたに呼びかけているんですよ。

あなたは、いつも、天から呼びかけられている。

もちろん物理的な「声」は聞こえませんけどね。

ただ、こうして地味な当ブログをここまで読んでいただいているなら、「たぶんそうかも」とか「そうあってほしい」とか、どこかで感じておられるのではないでしょうか。

天命というのは、それが「ある」と思わない限り、おそらく掴み取る(逆から言えば「抱き取られる」)ことはできません。

何度か言ってきたことですけど、

「自分には何か役割があって、この世に生を享けたのだ」

という思いをまず抱くことが、天命を生きる第一歩になります。

「何かの偶然でたまたま生まれてきただけだよ!誰も生んでくれって頼んでねーよ!」という中二病、リアル中二が吐きそうなことを思ってたんじゃ、天命の自覚はかなり厳しいと言わざるを得ませんな。

そうじゃなくても、ヘンな謙虚さを発動して、「いやいや、自分のような特に取り柄もない凡人に天命なんてありゃしませんわ」って言っている人も、なかなか厳しい。

これは前回のブログでも言ったけど、そこには「もう自分の人生なんかわかってるよ」という傲慢さがあるんですね。

こういう人は社会生活は普通に送っていたとしても、ある種の「エゴイスト」です。

たとえ世間的には「普通の人」だったとしても、霊的に観れば「高慢チキ野郎」なんです。

なので、私はあまり「覚醒」という言葉を使いたくないんですが、

「霊的覚醒」の初級コースは、「自分には自分にしかできない役割がある」と思えること

でしょうね。

(ちなみに口では「ワタシは覚醒しています」なんてスピっておきながら、実際の波動がショボいのが少なくないので、個人的にはあまり使いたくない)

さっき述べた「責任(responsibility:反応する能力)」というのは、言い換えれば「受け取る力」なんです。

「責任」とは「背負う」ということだから、「受け取る」という意味はわかりますよね。

「天からの呼び声」を受け取る力。

これは勝手な造語だけど、いわば「天命力」とでも言えるもの。

「天才」というのは、本当はフィギュアスケートの羽生結弦さんや将棋の藤井聡太さんのような、一握りの選ばれた人間だけに与えられたスペシャルな能力のことじゃないんです。

たとえ金メダリストや名人にまではなれないとしても、あなたにはあなたなりの個性や能力がある。

それは「先天的」なもの、"先"に"天"から与えられたもの。

これを本当は「天才」って言うんですよ。

ただ、問題は「そんなこと言われても、オレは別に大した能力なんて持ってないし・・・」「理屈ではそうかもしれないけど、ワタシは何も誇れるものなんてないですよ・・・」と、天から与えられた才能=天才を自分でシャットアウトしてしまうところにある。

天命は足元にあるというのに、受け取らない。

これはどうしてかというと、さっき言った「水平的な世界」に絡め取られているから。

この世に生きてりゃ、やっぱり比較されますよね。

子供のときからお受験や偏差値で比較されちゃうし、大人になっても容姿や収入や能力などで比較されますし、今はSNS等でその比較がさらに加速化してますし。

そうやって水平的な世界だけがすべてだと思い込んじゃうと、多くの人は劣等感に苛まれてしまう。

興味深いのは、一般的に優秀だったりエリートと呼ばれたりしている人も、実は劣等感を抱えているケースが少なくない。

上には上がいるもんね。

そんな水平的な世界から垂直的な世界、つまり「天命の自覚」を得るには、やっぱり常日頃から「天(神・仏・宇宙)」へ心の眼を向けておく必要あります。

それには瞑想や内観をしていただくのもいいですし、手前味噌ですが私が週1回やっている「無料グループヒーリング」にご参加いただくのもいいですし、天に祈っていただくのもいいでしょうね。

「自分は自分であること」こそ、宇宙の最大の不思議

「天命の自覚」というのは、表現を換えれば「天分を知る」ということです。

ときに「自分の分際を知る」と言いますね。

これは「身の程を知る」という意味で使われますけど、これは深いレベルで言えば「天分を知る」ということ。

スピリチュアル的には私たちはもともと「ワンネス(一なる存在)」だなんて言いますよね。

そのワンネス=からかれた存在(天分)が、私たち一人ひとりのいのち。

そして、それぞれのいのち固有の性質や志向性が「天命」ということであり、それを知ることが「分際を知る」「分をわきまえる」と言うわけです。

「分をわきまえる」というのは、本来「空気を読む」「TPOに合わせる」以上の意味がある。

その意味で、「己を知る」ということは「天を知る」ということなんですね。

「天」は己の内にあるということです。

別に「守護霊リーディング」なんていうパフォーマンス芸ができなくとも、「ハイヤーセルフ」なんてスピ用語を知らなくとも、「己を知る」ことを突き詰めることが、そのまま天に通じる道なんです。

スピリチュアル好きな人は「ワンネス」って言葉は知っているでしょうから、そこからさらに「天分・天命を知る」ところまで深めていかなければ、単なるスピリチュアルごっこで終わりますよ。

そのためのヒントは、「自分が自分であることの不思議」について、思いを馳せてみることですね。

人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし彼は、彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である。

小林秀雄『様々なる意匠』

この「驚くべき事実」を驚きをもって受け止めるとき、私たちは思わず「天」を見上げることでしょう。

そのとき、「天からの呼び声」が聞こえてくるはずです。

これだけはどれだけ知識を詰め込んでもダメで、ただ感ずるしかない世界ですね。

思えば、さっきの話で私が新橋の某寿司屋の大将に「なぜこの人は"この人"なのだろう」という興味を持っていたのは、おそらく「その人はその人以外にはなれない」という不思議さを感じていたからでしょう。

守護霊や大天使ミカエルや5次元波動なんぞより、こっちの方がよっぽど不思議だわ。

そう、あなたは「あなた」にしかなれないんです。

今さら羽生結弦さんや藤井聡太さんにはなれない。

子どもの頃は「自分は何にだってなれる」って無邪気に思っていたけれど、大人になってしばらく経ってのち「しょせん自分はこの程度か・・・」と密かな嘆きを抱えながらも、あまりそれを見ないようにして生きているのかもしれない。

ただ、その嘆きや不甲斐なさも含めて、なぜか、あなたは「あなた」にしかなれなかった。

これは驚くべきことではないでしょうか。

それを「自己責任」と言ってしまえばそれまでですが、私はそこからさらに「魂の必然性」、つまりあなたの現在の姿は、生まれ変わりも死に変わりもしない「いのちそのもの」の、一つのかけがえのない歩みなのだろうと感じるわけです。

その深みまで見つめるとき、たとえ現象的には不甲斐ない人生だったとしても、それすらも「天命」が導いているように感じるのです。

もちろん、痛みや苦しみや悲しみの渦中にあるとき、そういうことは感じられないでしょう。

天を呪いたくなるときもあるでしょう。

でも、もし天を呪いたくなるのであれば、実は暗に「天」の存在を認めていることになるわけです。

天を呪いたくなるほど天を感じているのであれば、「前回のブログ」でも述べた通り、「本当は自分は天に可愛がられていたんだ」と価値観が転回する時は、意外と近いのかもしれませんよ。

それが、真の意味での「覚醒=魂の夜明け」ではないでしょうか。


今日のまとめ

・天命を自覚すればするほど、安易に他人と比較しなくなり、「己の道」をただ歩むようになってくる。

・天命の土台になるのは「天からの呼び声」を感じる感性と、それに「応じる能力(response + ability = responsibility)」つまり「受け取る力、そして意志」である。

・天命を自覚するには、「自分が自分であることの不思議」(魂の必然性)について思いを馳せてみること。

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